太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年12月26日

149 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 C 熊野神社から立岩神社へ(熊野神社編)

149 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 C 熊野神社から立岩神社へ(熊野神社編)

20150922

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

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熊野神社参拝殿正面(飯塚市)


遠賀川の神々探訪ツアーは嘉麻市から飯塚市に向かいました。

市の中心部の小丘(古代には遠賀湖に突き出した岬だったかも知れません)の先端に鎮座するのが飯塚市野熊野神社です。

 一般に熊野神社と言えば、直ぐに、伊勢音頭の“伊勢にゃ七たび熊野にゃ三度“で知られる紀州の熊野三山、熊野速玉大社熊野本宮大社熊野那智大社が頭に浮かんできます。

 これはこれで別にお話をする必要があるのですが、この飯塚の熊野神社はこのような紀州系熊野とは異なるイメージを投げかけています。

 その前に出雲の一の宮熊野大社も熊野として知られた神社です。この神社は、伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命 を祀るものですが、各々、イザナギノミコト イザナミノミコト スサノオノミコトを祀るものとされています。

 注意して頂きたいのは、熊野の名が入っているのは真中の(つまり主神)のイザナミノミコトであることです。実はこの事が重要で、熊野の意味は隈地名を熊本から北部九州に持ってきた大幡主に拘わるものなのですが、これも別稿とさせてもらいます。

 勿論、九州王朝の中枢部である筑前、筑後、肥後にも多くの熊野神社があり、その数は、和歌山県や島根県を圧倒的に上回って(恐らく桁違い)いると考えられます。

 その事だけからも熊野の本拠地は九州だったと言えるのですが、その話も別稿とするとして、熊野神社はスサノウを祀るものとする傾向が一部に認められます。

 出雲の熊野のその一つですが、それが明治維新後に多発した祭神入替によるものなのか、古代に発生したものなのかは個々に判断せざるを得ないようで、かなり難しい作業になるようです。

 重要なのは、やはり熊野三山になるでしょう。

実際には多くの神々が合祀されて分かり難いのですが、簡略化して言えば、熊野速玉大社熊野本宮大社熊野那智大社が 熊野速玉大神 家津美御子大神 熊野夫須美大神 とされ、実際には、伊邪那岐命 素戔嗚尊 伊邪那美命 に対応すると解釈されているようです。

ただ、ここでは横道に入り過ぎるので、百嶋神社考古学の立場から把握できた範囲で結論だけを申上げておきます。

熊野速玉大社熊野本宮大社熊野那智大社の祭神は、各々、大幡主(博多櫛田神社の主祭神でイザナギと別れた後のイザナミ=クマノフスミノミコトの夫でヤタガラスの父) アカルヒメ(スサノウの元妃)=磐長姫(細石神社の祭神)=ヤタガラス(豊玉姫の兄) クマノフスミノミコト=元イザナミノミコト 

に対応し、間違ってもスサノウやイザナギは含まれていないのです。

以下は、通説の「古事記」系譜に百嶋極秘神代系譜の一部を掲載しておきますので参考にして下さい。

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百嶋由一郎極秘神代系譜(一部)参考


糸島の細石神社、三雲というところにあります。御祭神は岩長媛ですが、その素性がごまかされている。この岩長媛の素性は龍・蛇であるが、何十年も蓋をされて いたが、文楽の世界で、今、東京丸の内のある劇場でこれを上演している。この方のご出身地は朝鮮半島で、お父さんは博多くしだ神社の神様で大幡主命、お母 様はいざなみの命、いざなみは後後、いざなみではまずいので別の名前に変わっている。それは、くまのふすみのみことに名前を変えていらっしゃる。博多のく しだ神社の神様ご一統の熊野大社における配置を申し上げておく。これは宇佐以前に知っておかないと都合がよくないので、申し上げて置く。熊野ふすみ神社即 ち、熊野那智大社は(もと、いざなみのみこと)、熊野速玉大社は大幡主命(博多のくしだ神社の神様)、熊野本宮大社はこれは秘密もいいところ、なんとかな んとか美のみことこれはお妃のほうです。なんとかなんとかのみこと、これは素戔鳴尊です。本当の御祭神は表にひとつも出ていらっしゃらない『美(巳)』す なわち岩長媛です。ご出身は朝鮮半島の一口に申しますと新羅の勢力圏、当時、新羅はけんかが強かったので、ある程度、百済のほうまで入り込んで、加耶はも ちろんです。とにかくあちこち広域に跡形を残しています。そしてこの方が最初、日本に入られる前のお名前はあかる媛です。そして、ダンナの名前は、朝鮮半 島から追いかけてきた天の日槍(後に、日本での名前は素戔鳴尊)です。あかる媛のコースを申し上げます。まず、日本に最初に入ってこられた場所は但馬国、 現在の兵庫県です。それから大分県の国東半島の姫島です。そして国東半島に上陸します。そして奥の方にはいられて安心院です。そして表に出てらっしゃたの は神相撲をしている古表宮です。“古”は“胡”の意味です。そして、いまでは岩長媛となられたのです。

岩長姫は此花咲くや姫のお姉さまです。此花咲くや姫のダンナはニニギですがこの期間はたったの1年 間以下です。その後はずっと豊玉彦の奥さんになさっています。さっさとニニギとお別れになった後、先玉姫と名前を変えられて、しばらく居られた場所は鹿児 島空港付近の溝辺です。鹿児島県にいらっしゃる時、この花咲くや(さきたま)姫の代名詞は『桜』となっている。そして神話も桜で有名になってしまった。そ の後、茨木県に行かれた。豊玉彦との間にお生まれになったお子様は、茨木県、栃木県のあちこちで名門のお子様として、お祭りされている。しかし、あちらで は“さくら姫”となっているが、もともとのさきたまのさくは削岩機の“裂く”であって、この人自身が女であっても鉱山技術者であったということです。

岩長姫は素戔鳴(天の日槍)の本当の妹だが、但し、おやじが違います。素戔鳴の親父は伊弉諾(イザナギ)、岩長姫の親父は大幡主命、豊玉彦の親父も大幡主命、此花咲くや姫の親父は大山祇です。

とにかく、こういうことで岩長媛は長い間秘密にされていましたが、非常に格式の高い神様です。岩長姫とは神様にお祈り専門の人々が祈りだした名前です。


肥後翁のblog民俗・古代史及び地名研究の愛好家(元菊池地名研究会牛島稔太のHP)より


実際、熊野三山に関する神社関係者、研究者も、祭神の解釈については苦労されているようで、無理やりはめ込んだイザナギ、イザナミ、スサノウ…を軸に、幾らか当たっている神産巣日神やついでに引っ張り出した高御産巣日神を根拠に、「人と人を繋ぐ結びの神様…」などとあてずっぽうを言っておられる方もおられるようです。

 熊野三山についてはこれぐらいにして、飯塚の熊野神社を考えて見ましょう。

 まず、現在の縁起は次のとおりです。読んで頂ければ十分にお分かりになると思います。

  縁起によれば、主神は背後地の立岩神社の五神イザナギ、イザナミ、手力男神、大巳貴神、少彦名神から二神を降ろし熊崎に祀ったものを熊野神社としたよう で、ここでもイザナミがイザナギと別れ大幡主命の妃となった後のクマノフスミノミコトであることから熊野神社としているのが分かり、結局、この飯塚も大幡 主のエリアとなった事が分かるのです。

 異質に見えるのは、大巳貴神、少彦名神ですが、これも大国主命は宗像の市杵島姫を妃とし大幡主の傘下に入っているため熊野の同族になるのです。

 唯一、手力男命が問題ですが、これもスサノウのことであり、イザナギ、イザナミの子であることから、この二神を主神とすれば、手力男命も理に叶っている事になるのです。

 ただ、当方の理解は少し異なり、考古学で有名な立岩式石包丁の中心地として稲作地帯であり、大量の甕棺葬の上に未発掘の古墳が乗るこの立岩丘陵を考えると、その敗散した勢力こそスサノウのように見えるのです。

そして熊野とは、本来、大幡主→ヤタガラス(豊玉彦)の領域を意味するのですが、敗北した神々複合に戻っているとも言えるのです。

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熊野神社縁起(飯塚市)

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熊野神社の境内摂社須賀神社(スサノウ)


今も、そのことを伝えるかのように、須賀神社が他の摂社、天満宮、高木神社、恵比寿神社、宮地嶽神社…と一緒に祀られています。

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カーナビ検索 福岡県飯塚市立岩1380


30人規模のトレッキングとなった事から、当日は、宮司、氏子総代…の出迎えを受けました。

 宮司がおられたことから、「熊野三山とはどのような関係になるのですか…?」とお聴きしたところ、「全くない。ここは熊崎と呼ばれていた…」からと言われました。

 和歌山の熊野神社の本家はこちらだ…ではなく、全く異なる熊野神社とお考えのようでした。


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:19| Comment(0) | 日記

2015年12月30日

150 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 D 熊野神社から立岩神社へ(立岩神社編)

150 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 D 熊野神社から立岩神社へ(立岩神社編)

20150922

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


イザナギ、イザナミ外三神を祀る神社であることは熊野神社(飯塚市)の縁起からも明らかです。

一方、神武巡行の事と考えているのですが、北九州に特有の神武東征伝承があります。


神武天皇東征の途中、急に雷雨がおこり天地が鳴り響いた、そのとき巨岩が疾風の如く飛んで来て、この山頂に落下した。そこに手力男神が現れて、「ここに住み不思議な術を持つ熊にも蜘蛛にも似たような悪鬼が、天皇を惑わすので巨岩をもって誅した」と言う。

HP

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熊野神社裏の参道を数百メートル進むと森に開かれた畑の中に立岩神社があります

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縄文の巨石信仰と言えば分かった気になるだけですが、人為的岩立が破壊されたように見えます


熊野神社から立岩神社に向かう狭い参道の途中にも未発掘の古墳が森の中に何基も並んでいます。

元宮との表現はされていませんが、立岩神社の五祭神のうちイザナギ、イザナミの二神を熊崎の先端に降ろしたのが熊野神社なのかも知れません。

元々、飯塚市の中心部であるこの立岩は、夥しい数の甕棺墓群が発見された地であり、その丘陵上部に古墳が乗っている事から考えれば、古代に大きな権力交代が起こったと見えるのです。

百嶋神社考古学の立場からは、隈(熊)地名と関係がある大幡主と、イザナギ+イザナミ+スサノオに対して別の勢力であると思える事から、熊野神社と立岩神社の関係は、各々新旧の勢力を表しているように見えるのです。

岩立神社が手力男命=スサノオを意味しているように見えるのですが、熊野神社の縁起に依る限りは、斉明天皇期にイザナギ+イザナギ→従ってスサノオを切り分け祭神として表現しているのです。

ところが、地名、社名だけは熊野が残されている事から、宮司はことさらに熊野三山とは無関係と言われた様に見えるのです。

熊野神社から立岩神社に向かう狭い参道の途中にも未発掘の古墳が森の中に何基も並んでいます。

元宮との表現はされていませんが、立岩神社の五祭神のうちイザナギ、イザナミの二神を熊崎の先端に降ろしたのが熊野神社なのかも知れません。

元々、飯塚市の中心部であるこの立岩は、夥しい数の甕棺墓群が発見された地であり、その丘陵上部に古墳が乗っている事から考えれば、古代に大きな権力交代が起こったと見えるのです。

百嶋神社考古学の立場からは、隈(熊)地名と関係がある大幡主と、イザナギ+イザナミ+スサノオに対して別の勢力であると思える事から、熊野神社と立岩神社の関係は、各々新旧の勢力を表しているように見えるのです。

岩立神社が手力男命=スサノオを意味しているように見えるのですが、熊野神社の縁起に依る限りは、斉明天皇期にイザナギ+イザナギ→従ってスサノオを切り分け祭神として表現しているのです。

ところが、地名、社名だけは熊野が残されている事から、宮司はことさらに熊野三山とは無関係と言われた様に見えるのです。

この飯塚市の熊野神社の解読は、まだまだ奥が深そうで、直ぐに結論に飛び付くのを止め、問題点の指摘のみにしておきたいと思います。

ここでは、熊野神社の名を体現しているのは、実質的に「昔の名前で出ています」のイザナミ、つまり、後に熊野那智大社でクマノフスミノミコトと名を変えたイザナミだと考えられるという点を確認しておきたいと思うものです。

それは、天孫に協力した新興勢力の大幡主(瀛氏)の一族と、旧勢力と考えられるイザナギ、イザナミの子スサノオに象徴される旧勢力の対抗を意味しているようなのです。

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カーナビ検索省略

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最後になりますが、立岩神社の境内に置かれたある祠の神紋と言うか紋章が気になっています。

 情報をお持ちの方はご連絡頂ければ助かります。

 下は蓮か燭台か秤=天秤、もしかしたら立葵を意味し、上は蛇かとも思うのですが、画像検索はやったことも無く解析できずにいます。

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熊野神社(飯塚市)縁起(上)百嶋由一郎極秘神代系譜の一部(下)

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:19| Comment(0) | 日記