太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年11月25日

138 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 @  “宇奈岐日女は隠された!”

138 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 @  “宇奈岐日女は隠された!”

20150808

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


車中泊覚悟で神社のトレッキングを続けていますが、安部氏 丞 氏が書かれた「豊後安倍氏の伝承」を手に入れるために大分市野津原に向かっていると湯布院温泉(由布市)を通過しますが、二時間弱の余裕があったため湯布院の神社を見る事にしました。

と、いうのも、blog「ひぼろぎ逍遥」でご紹介した豊の国古代史研究会の第1回、第2回研究会に参加された秋永氏は神功皇后の研究者でもあり湯布院温泉の某高級ホテルのマネージャーでもあったからです。


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blog


ご迷惑が掛ると申し訳がありませんので、詳しい話はここまでにしますが、車中泊ばかりではなく、たまには由布岳が眼前に見える巨大露天風呂のホテルに泊まり湯布院の神社トレッキングを企画したいと考えたからでした。

 湯布院と言えば直ぐに、俗に言う「ウナギ姫神社」が頭に浮かんできます。

 以前、同社の前の道を通過した事はあったのですが、境内に足を踏み入れるのは今回が初めてになります。

宇奈岐日女神社

宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ/うなきひめ-/うなぎひめ-)は、大分県由布市にある神社式内社で、旧社格県社。「六所宮」とも呼ばれるほか、「木綿神社(ゆふじんじゃ)」「木綿山神社(ゆふさん-)」の通称もある。

祭神は以下の6柱。「六所宮」の別称はこれら6柱を祀ることによる。国常立尊(くにとこたちのみこと)国狭槌尊(くにさつちのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと、第2代綏靖天皇)


ウナグヒメについて

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由布院盆地由布岳山頂より)


盆地は古くは湖であったが、ウナグヒメが開拓したと伝える。
現在の祭神は、上記のように6柱の神々である。一方『延喜式』神名帳に記される社名は「宇奈岐日女神社」であり、かつ六国史における神階奉叙は「宇奈岐比盗_(宇奈支比盗_)」に対して行なわれていることから、当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている。「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長の巫女が神に転じたと推測されている。一方、「ウナギ(鰻)」に由来するとする説もある(後述)。
このウナグヒメに関して、古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神であるウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破るよう命じた。男が蹴破った結果湖は盆地となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという。大男は「道臣命」と名付けられたといい、現在も末社の蹴裂権現社に祀られている。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある。しかしながら盆地の底にあたる地点から土器が発掘されたこと等もあり、考古学的・地質学的には湖伝説の真偽は明らかとされていない。伝承の考証として、ウナグヒメを『豊後国風土記』にも見える「速津媛」(速見郡の由来)とする説や、ヒメヒコ制の指摘がある。
創建
社伝によれば、創祀は景行天皇12年10月であるという。『神社明細帳』では、景行天皇が征西のおりに当地で祭を営んだといい、同天皇3年に速津姫が勅を奉じて創祀したという伝承を伝える。
当社は由布岳の南西山麓に鎮座している。『太宰管内志』では「木綿山にます神なので木綿ノ神社ともいう」という記述があるほか、『豊後国志』でも宇奈岐日女神は由布山神であると記されており、元々は由布岳を神体山として成立した神社であると見られている。
一方、由布院盆地が古くは湖であったという伝承に基づき、ウナギ(鰻)を精霊として祀ったことに始まって、のちに由布岳の神と習合したという推測もある。
概史
国史の初見は嘉祥2年(849年)に従五位下の神階に叙せられたという記述であり、元慶7年(883年)には正五位下に昇叙された。これらの奉叙は、「宇奈岐比盗_(宇奈支比盗_)」に対して行なわれている。
平安時代中期の『延喜式』神名帳には豊後国速見郡に「宇奈岐日女神社」と記載され、式内社に列している。
江戸時代までは佛山寺と習合していたが、神仏分離により現在の姿となった。明治6年(1873年)には近代社格制度において郷社に列し、大正12年(1923年)には県社に昇格した。
神階
嘉祥2年(849年)6月、従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「宇奈岐比盗_」。元慶7年(883年)9月2日、従五位上から正五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「宇奈支比盗_」。

20150808 1100 「ウィキペディア」による

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宇奈岐日女神社(由布市)

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前述の秋永氏からは同社が元は別の場所にあった事を聴いています。

 しかし、湯布院盆地の山野辺の道とも言うべき場所に現在も鎮座していた事を考えるならば、それほど離れた場所から遷宮されたとも思えません。

さて、祭神が気になります。肝心の宇奈岐日女らしき女神が見当たらないのです。

これについては、ウィキペディア氏も“当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている。”と指摘されているとおりです。

直接的な征服、被征服といった関係にあったかは分かりませんが、征服による祭神の入れ替えは十分に有りうることで、社名にだけ本来の祭神が留められたとも、ほとぼりが冷めた後代に社名だけが本来の姿に戻されたとも考えられそうです。

しかし、

国常立尊  国狭槌尊  彦火火出見尊  彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊  神倭磐余彦尊  神渟名川耳尊という組合せは何とも奇妙です。

まず、第一に、神倭磐余彦尊(初代神武天皇)、神渟名川耳尊(第2代綏靖天皇)という通説に基づくある意味で最高位の神が最下位に置かれています。

第二に、最上位に国常立尊  国狭槌尊という造化神が配され、次位に、彦火火出見尊  彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊という物部系の親子神が配されています。

ウガヤフキアエズ(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊彦)は、通説でも火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘である豊玉姫の子とされ、その後代に神武天皇が生まれるとするのです。

百嶋神社考古学では、ウガヤフキアエズが彦火火出見尊(山幸)と豊玉姫(実はタゴリ・ミホ)の子とされることは受け容れますが、初代神武天皇と同時代の臣下でしかないとします。

通説に沿って、造化神二柱、山幸+ウガヤという物部系二柱、神武(初代)+第二代綏靖天皇 が配されている事には成ります。

問題は、国常立尊  国狭槌尊が何者であるかがあまり分かっていない事です。

国常立尊は一般的には男神とされ、事実、「玄松子」氏も男神とされていますが、百嶋神社考古学では、まず、国常立尊は博多櫛田神社の主祭神の大幡主命とします。

今回は関係ありませんが、天御中主命は中性神とか男神とされます。百嶋先生はこれについても、“天御中主命の夫はウマシアシカビヒコチの神であり、実は朝鮮半島(金海伽耶)にいた金越智であり、今も出雲大社の客人(マロウド)の間に鎮座している”とされていました。

国狭槌尊も実体がお分かりでない方が多いようですが、これも百嶋先生はお分かりだったようです。

カグツチとは、火ので、「古事記」では、火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)、火之R毘古神(ヒノカガビコノカミ)、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ=加具土命)とされ、「日本書紀」では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記される製鉄の神の事で、私達は金山彦と呼び習わしています。

それもそのはず、由布岳の東には別府市の鶴見岳があり、火男火売神社(火男火賣神社)という火の神が鎮座し祀られているのです。

 この一帯は別府温泉に象徴されるように、火山噴出物、鉱物、温泉、硫黄、金属…と製鉄神に通じるものが多いのです。

 最後にウナギ姫に関する仮説です。まだ周辺調査を行わないままのいい加減な仮説ですのでその範囲で聴いて欲しいのですが、ウナギ姫はウナグ姫であり、ウィキペディア氏も、「当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている。「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長の巫女が神に転じたと推測されている。」とされています。

 九州では標準語のO音がU音に対応する事を以前から書いています。これこそが古代の標準語だったはずなのですが、「ウナグ」は「オナゴ」なのです。

 すると、ウナグヒメとは、ただの女+女と女性神を強調した言葉に見えて来るのです。

 また、ヒメは後に別の民族によって持ち込まれた女性を意味する言葉なのかも知れません。

 してみると、女性を神と崇める習俗を持った人々が新たに入って来た人々によって征服された痕跡を留めているように思うのです。

 では、その女性神とは何だったのでしょう。

 それこそが、湯布院のユフである古代の繊維を紡ぎ、織った神、苧麻の神であり、由布岳に象徴されているように思うのです。

日本の木綿の起源は8世紀まで遡るようですが、実際に普及するのは戦国期前後からと言われており、由布岳のユフを木綿(真綿)とするのは無理があり、やはり、苧麻の類だったのではないかと考えています。

 話がドンドンと横滑りしてしまいましたが、布を織る女神を奉祭する人々が由布岳を崇め、祭り由布岳が見える場所に宇奈岐日女神社を奉り(建て祀り)、いつしか金属を使う人々に征服された歴史が留められている様に思うのですが賛同頂ける方は非常に少ないように思います。

トレッキングを行う前に考えた乱暴な仮説中の仮説です。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:31| Comment(0) | 日記