太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年11月16日

135 モンゴル高原のユダヤ人

135 モンゴル高原のユダヤ人

20150703

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


百嶋神社考古学勉強会は順調に滑り出しましたし、熊本の神社研究グループとの連携も進んでいます。

また、遠方の百嶋神社考古学研究者も徐々に増え始めているようです。

百嶋先生は多くの手書き資料を残しておられますが、一方では(片手間ですが)そのスキャンニング作業を続けています。

百嶋先生の話には日ユ同祖論でもかなり深部に向かった調査をされていたようです。

このため、私達もユダヤ・イスラエル系、ヘブライ系、アーリヤ系、トルコ系…といった表現を余儀なくされています。

このため学者風の話をされる方達や一般の方達からも色眼鏡で見られる事を甘受しなければならないのですが、それはどうでも良いとしても、この壁をなんとか食い破る方法はないものかと考えていました。

そうした中で、百嶋先生の文字データの中に分かりやすい例がありましたのでご紹介する事にしました。

現地の写真やパンフレットや地図といったものが僅かなコメントを加えて送られています。

これもその断片のようなものですが、きっと現地を踏まれ、現地の人から聴き取りをされていたのでしょう。

ナンダデヴィのユダヤ系モンゴル人、モンゴル系ユダヤ人?もその一つです。ガンジス川源流の彼らは六芒星を使っているのです。
これも、百嶋先生が現地で撮られた多少ピンボケの写真です。
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この辺りまでユダヤ人が入っているのならば、中国、朝鮮半島を経て列島にユダヤ系、イスラエル系の人々が入って来ていても一向におかしくはないのですが、この話に持ち込むと皆さんが顔をしかめることになるのです。

 中国には今もユダヤ人街=ゲットーがあると言いますし、大量のユダヤ、イスラエル系の人々が入っているはずなのです。

 2012年公開の映画ピラミッドでも中国には巨大なピラミッドが存在している事が明らかになりましたし、少しは偏見を取り除いてもらいたいものです。

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百嶋由一郎手書き資料から


「山の娘」というだけありパールヴァティーはヒマラヤ近く標高3500m近い地域の聖なる山ナンダデヴィに住むと言う。ナンダは「祝福された」「デヴィ」は「女神」の意味の語。

クスムカングルKusum Kanguruクワンデ(コンデリ)KwangdeクーンビラKhumbila

HP「エベレスト街道」より


面白いのは、金毘羅神社の「金毘羅」の意味ですが、ヒマラヤの一峰「KwangdeクーンビラKhumbila

が語源と考えられていたようです。

 つい最近もトレッキングでかなり本格的な朝倉市杷木町の志波の宝満宮(付随金毘羅神社)を30人規模と10人規模で訪問しましたが、コンピラの意味を考えていただけに、何も納得の行く説明がない中では、百嶋先生の金毘羅=クーンビラ説には吸い寄せられてしまいそうです。

 金毘羅神社の祭神については諸説ありますが、百嶋船も金毘羅にも色々なバリエーションがあるものの最終的には崇神天皇を奉祭する一族が大山咋神=佐田大神を祀っているとお考えになっていたようです。

 大山咋神は阿蘇の草部吉見神と宗像の市杵島姫の間に産まれた、いわば、雲南〜海南島コネクション=黎族=白族のシンボル的なものです。

 それが保元の乱の一方の負組のようでもあるのですが、白族がヘブライ系であることを考えれば、彼らが通過して来た故地であるヒマラヤのク―ンビラを奉祭したとしてもおかしくはないと思うものです。

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グゲ王国または古格王国(842 - 1630)は、吐蕃の王族の一部が西チベットで建国した王国。

グゲ王は荒廃した仏教再興の為、当時の仏教先進地域カシミールへ留学僧を派遣。カシミール様式の寺院 建築、壁画などを導入した。

建国期

吐蕃ティソン・デツェン(在位755-797)が没すると、吐蕃は急速に衰えていった。ラン・ダルマ王の息子ウースン中国語版ツァンを支配していたが、ウースンの子ペルコル・ツェン: 貝考贊)が暗殺されるとその子(: 吉コ尼瑪袞)は西チベットに逃れ、ガリーマルユルMaryul of Mnah-ris)、プラン、グゲといった谷に住み着いた。

10世紀、グゲの首都ツァパラン英語版は石灰質の岸壁に守られた要塞都市であり、仏教の中心のひとつとなった。当時の王コレは王位を捨てて仏門に入っている[1]。なおツァパランは要塞都市なので、中心都市は18km東にある道沿いの都市トリン(現ツァンダ)である[3])。

分裂

グゲ王国は11世紀には分裂して衰えるが、1042にインドのヴィクラマシーラ大学の高僧アティーシャを招聘。 アティーシャの教えはカダム派英語版を生み現在のゲルク派の源流となった。こうした活動により、再びチベット仏教が栄え、ピヤントンガ石窟群が築かれた。現在も、グゲ王国の中心的都市として繁栄したツァンダ付近には石窟壁画が残っており、北インドの影響が見てとれる。

14世紀にはマンナン(トリンの南約15km)を都として復興されている。15世紀にはナムギェル・デが王となり、ツァパラン語版に王宮を造って再び首都をこの地に戻した。現在残っているグゲ遺跡のほとんどはこの時のものである。             

ウィキペディア(20150708 8:30

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ピアン遺跡全景

「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤ山脈を有するチベット。その中でも西チベット・ンガリ地区は標高4,000m5,000mの荒涼とした地です。尊い雪山を意味する「カン・リンポチェ」とも呼ばれる聖山カイラース山(6,656m)、11世紀にチベット仏教の復興を果たしたリンチェンサンポやインドからチベットへと渡った高僧アティーシャゆかりのツァンダ近郊に位置するトリン寺、グゲ遺跡(グゲ王国の故城)もこの西チベットに位置しています。


トンガ遺跡

トンガ村から400m離れた岩壁にあり、東西に大きく3区に分かれています。1区には50個の石窟があり、1号窟から3号窟までは極彩色の曼荼羅が描かれています。

トンガ1区1号窟は、正方形の木組みを組み合わせる中央アジア起原のラテルネンデッキ(三角隅持ち送り形式)の建築手法。天井の植物模様や二頭の獅子、向かい合った白い象、そして四方の壁面には多種多様の曼荼羅が描かれています。

曼荼羅の側面には垂直五段の十一面、蓮華、水瓶、数珠を持つ六臂、十一面観音像が描かれています。両脇の二女尊はインドから伝来したターラーなどといわれています。

2号窟は四層からなる円心円状ドーム構造。全体で法界語自在マンダラを表現しているといわれています。四方の壁面は一面、千仏で埋め尽くされています。中央に仏塔の基盤が残りますが、現在上部は破損しています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:20| Comment(0) | 日記