太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年11月28日

139 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 A  “祭神配置に認められる阿蘇の神”

139 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 A  “祭神配置に認められる阿蘇の神”

20150808

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

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宇奈岐日女神社正面鳥居


宇奈岐日女神社の祭神配置に阿蘇系が半数を占めると言うと「何を馬鹿な!」と言われそうですが、まず、六神の最後尾に配された神渟名川耳尊(藤原が造った第2代贈)綏靖天皇)が阿蘇神社の正殿奥に祀られている金凝彦=贈)綏靖天皇であることは「ひぼろぎ逍遥」178金凝彦=贈)綏靖天皇を確認“遅れ馳せながらも阿蘇神社に金凝彦を認識した”でお話をしています。

 問題は山幸彦に相当する彦火火出見尊彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の親子です。

  一般的に物部の祖ともいうべき山幸彦は、素性が不明で父親も母親も分からない人物ですが、最近、百嶋神社考古学勉強会の中枢メンバーのお一人であるU女史 から、“先生も山幸の素姓については分からないが見当は着くけどね…と言われていましたが、「阿蘇氏ご一家系譜」を良く見ると、父親については手掛りが残 されている…”という文字通り耳寄りな話が入ってきました。


記紀の名称表記

山幸彦 - 火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)

海幸彦 - 火照命(古事記)・火闌降命(日本書紀)

名前のごとく、の猟が得意な山幸彦(弟)と、の漁が得意な海幸彦(兄)の話である。兄弟はある日猟具を交換し、山幸彦は魚釣りに出掛けたが、兄に借りた釣針を失くしてしまう。困り果てていた所、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」(又は綿津見の宮、海神の宮殿の意味)に赴く。

海神(大綿津見神)に歓迎され、豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らすうち既に3年もの月日が経っていた。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失くした釣針と、霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせたという。この海幸彦は隼人族の祖である。

その後、妻の豊玉姫は子供を産み、それが鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、山幸彦は神武天皇祖父にあたる。

20150809 0800 「ウィキペディア」による


あくまでも百嶋由一郎系譜に基づく解釈ですが、「阿蘇ご一家系譜」には、神沼河耳の義理の子といった意味と思われる点線が引かれ山幸彦(大伊乃伎神)の傍に贈)安寧天皇(玉手看)の子と小さく書かれていたのです。


安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5 - 安寧天皇3812月6)は、日本の第3天皇(在位:綏靖天皇337月15 - 安寧天皇3812月6)。

和風諡号は、『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」。

神武天皇(初代天皇)の孫にあたる。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述はなく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

20150809 0900 「ウィキペディア」による


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百嶋由一郎神代系譜「阿蘇ご一家」(一部)

もちろん、通説とも、阿蘇神社が公表している阿蘇系系譜とも異なりますが、神沼河耳(贈)綏靖天皇)と蒲池姫との間に生まれたのが手研耳命であり、山幸彦=彦火火出見尊は、この阿蘇の健磐龍とかなり近い親族関係にあったのではなかったかと考えられるのです。

 そこまで考えて来ると、思い当たることがあります。

 それは、かつて由布盆地は湖だったが蹴破りが行われ水が抜かれて開発されたという伝承の主体として阿蘇の耳族が関与していたように見えて来るのです。


古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神であるウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破るよう命じた。男が蹴破った結果湖は盆地となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという。大男は「道臣命」と名付けられたといい、現在も末社の蹴裂権現社に祀られている。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある。しかしながら盆地の底にあたる地点から土器が発掘されたこと等もあり、考古学的・地質学的には湖伝説の真偽は明らかとされていない。

20150808 1100 「ウィキペディア」による


 もしかしたら、ウィキペディア氏が言う大男は「道臣命」と名付けられたといい、現在も末社の蹴裂権現社に祀られている。」に祀られている「道臣命」とは阿蘇の健磐龍命かその周辺の人物(神)であったのではないでしょうか?

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:17| Comment(0) | 日記