太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年09月21日

116 千木について “男千木と女千木、そして千木は日本だけのものなのか?”

116 千木について “男千木と女千木、そして千木は日本だけのものなのか?”   

20150516

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


神社を見て回っておられる方で、千木の男女を云々される方をお見かけします。

 ところが、神職側には「男千木、女千木にはほとんど根拠が無い」と言われる方が多いように見受けられます。

 というよりも、“そう言っておく方が実情に通じている”とでも言いたげに話される方が多いようにさえ思います(多分、神官養成の過程での影響によるところが大きいのでしょう)。

 中には、“あんなものは全くあてにならない! そんな話は素人の戯言で聴くに値しない…”といった扱いをして軽くあしらっておられる御神職の方の話も何度か傍で聴いております(具体的には伊勢神宮の内宮の方 他でしたが)。

 勿論、訊ねられている方はそれなりに真剣そのもので、少しでも神様や神社の事を知りたいからなのですが、当の神職の方が鼻であしらうといった雰囲気なのです。


千木、鰹木のない神社もありますが、あくまでも一般的にですが、祭神が男神の社は千木を外削ぎ(楯向きに削る)にし、女神の社は内削ぎ(横向きに削る)にしています。さらに、鰹木の本数も、奇数は男神、偶数は女神とされます。

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まあ、これが現在の“神社業界”の実態といったところと理解していることから、巷の議員先生同様、こちらもあまり真顔で反論する気にもなれないのですが、ど うも明治期に時流に乗り成り上がった伊勢神宮などが、終戦直後の大恥かきも忘れて、公開講座(九州王朝論)の講演内容に対して口出しをしてきたりするよう になってくると、言うべきことは言っておかなければならないという気にもなってくるのです。

 久留米大学の公開講座の開始早々の頃ですが、某講演者が伊勢神宮について学問的に言及したことに対して、戦前の国体明徴運動期の手痛い反省も忘れて大学側に対してクレームを付けてきたという話があるのです。

 事実、久留米地名研究会の活動開始当初においても、伊勢神宮からの圧力についての話は別の件で何度か耳にしていましたので、個人的には大方想像が着く気がします。

要は九州王朝論そのものが不敬であり許しがたい。少しはお灸を据えてやれ!(神社でお灸はおかしいですが)との皇国史観丸出しの教条的な筋からなのか?個人的パフォーマンスによる点数稼ぎだったのかも知れません。

まさか、大神社(宮)が本気で一大学の講義内容に対して口を挟んでくるなどといった時代錯誤の憲法違反を正面切ってやってくるとは考えられませんので。

最も必要ならばいつでも憲法など破り…というより、一度として憲法を守って来たことない国で憲法を守れ!などと馬鹿騒ぎをするほど愚かではないつもりですから、当方もそのつもりで書いてはいるのですが…。

その実、藤原天皇制成立以降、伊勢は一度として天皇家の公式参拝など存在しなかった(つまり近畿大和朝廷にとっては祖先神などでは全くなかったからなのですが)のです。

このため、高々百数十年前に陽の当たる場所に這い上がって来た自らこそが、千数百年の長きに亘って近畿大和朝廷から排除されてきた九州王朝系の神社(特に上下宮ともに)でしかなかったのです。

その実、自らの出自を忘れて九州王朝論をやり玉にしていること自体が極めてアイロニカルに見えてくるのです。

それは、百嶋神社考古学最終神代系譜の左半分を見れば伊勢神宮が如何なる存在であるかは一目瞭然でしょう!


内宮=天照大御神=神武天皇の腹違いの実の姉=卑弥呼(九州王朝実質第2代天皇)

下宮=豊受大神=辛国息長大姫大目命=卑弥呼(天照)代行 宗女壱与までのアンカー

(百嶋神社考古学最終神代系譜参照)

そもそも、神武、天照(弟、姉)も共々架空のでっち上げだとしてきたのが、近畿大和朝廷一元史観の学者どもなのです。

 これらについては当事者でもなく、クレマーも点数取のための個人的キャンペーンかも知れないことから大人の対応として話を戻すことにしますが、既に特高警察が公演中止の指示を出す時代は目の前まで来ているのではないかと考えているところです。

 さて、千木の話に戻りますが、多くの神社(伊勢内宮下宮も決して例外ではない)は、権力者の交代や世情の移ろいに合せ、自らの祭神を隠し又、神名を変え又、そのものも入れ替え又、追加し又、裏では祀りながら生き延びてきたのです。

 それが多くの神社に境内、境外の摂社(本殿から排除することで許されてきた)が存在する理由でもあるのですが、同時に列島の神には実体があり、妻、夫、側室、前妻、後妻、再婚、複婚、正側室の子もあるのです。

 簡単に言えば、古代の有力者である神々の結婚は大半が政略結婚であり、時代に併せ、特に有力家系の女子には列島に侵入してきた有力民族の男子が取り込まれ、また入れ替えられてきたのです。

  その結果、本来は女系の女千木の神が祀られていたものであっても、種馬でしかなかった男神が表に出され千木がそのまま残されるとか、同等民族同士の政略結 婚によって夫婦神として祀られたものであっても、時代が入れ替わると片方の神が隠されると言った具合に(ウマシアシカビヒコチを隠した水天宮など)、祭神 が入れ替えられても初期の祭祀形態が千木に残されたり、逆に密かに祭祀が守られても千木だけが変えられたりという事が繰り返されてきたのです。

 そのうちに、不勉強な神職のいる神社ほど、その神社の歴史を忘れ、いつしか表面だけしか理解できなくなり、冒頭の“あんなものは全くあてにならないもので、そんな話は素人の戯言”といった暴言を吐く間抜けな神職がのさばりだす事になるのです。

  また、政治情勢の変化は絶えず起こるため、戦国乱世の時代同様に敵方同志であっても政略結婚の網を張り巡らし、相互に男系、女系で保険を掛けておく事が当 たり前であって、次世代は生き延びた、男系か女系かの血筋で一族としては生き延びていくという事になったものなのです。

 この結果、夫婦神であっても表向きはある時は夫神を表に出し、ある時は妻神を表に出し生き延びてきたのです。

  中には菅原道真を祀る天満宮においてさえ女千木の神社があり(福岡県内某社)、それは九州に左遷された時に宿された側室(現地妻)家系が守る神社だからそ のようなシンボル(怨念)として女千木が採用されているのであって、冒頭の浅はかな伊勢の某神職の暴言によれば、それこそ何の根拠もない例とされてしまい かねないものなのです。

 そこには、間違いない現地妻との間の血統(道真直系)が残されている可能性が高く、物事の表面しか見えない、見ようともしないつまらない人間が神職になっていることが垣間見えて来る事になるのです。

 死んだことにされた(恐らく双方で納得した)結果、道真は薩摩に落ち延び、薩摩川内市の藤川天神辺りで余生を全うしたのです。

藤川天神については、「ひぼろぎ逍遥」019 「道真は薩摩川内、旧東郷町藤川で余生を送った!」を参照してください。

  特に、伊勢の下宮の主祭神=豊受大神には、古代の有力民族の若頭同志である海幸彦、山幸彦が入れ替わり立ち代わり夫として(奉仕して)仕えておられ、表向 き海幸彦で祀られる神社が在ったり、山幸彦で祀られる神社が在ったり、豊受大神が表に立たれた神社であったりする色々なケース(従ってその千木もその時々 の事情や、奉斎する氏族の力関係が反映する)が成立する事になるのです。

  この場合でもその勢力の盛衰によって、海幸は傍に控えているが山幸は隠されているとか、その逆もありますし、両方とも別社にされているとか、両方とも境内 摂社になっているとか、全くの下剋上ですが、海幸、山幸が正面に出て豊受大神は隠されている場合すらあるのです(但し千木は女千木)。

 この点を見抜かなければ、その神社の本来の性格は理解できないのであって、全く厄介な事になるのです。

 最後に非常に解り易い例がありますのでご紹介します。宗像三女神を祀る宗像大社(宗像市田島)の辺津宮です。


福岡県の宗像大社は三女神を祀る宮ですが、「辺津宮の千木が外削ぎなのはどうしてだろう」というコメントをいただきました。神社の屋根にある千木は内削ぎが 女神、外削ぎは男神を祀ると言われているからです。辺津宮の写真を見直すと確かに千木は外削ぎです。祭神は女神ではないのでしょうか。

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…中略… 宗像大社の説明では「男千木・女千木については俗説で、辺津宮が外削ぎだという事について説明する伝承もない」とのです。

「ひもろぎ逍遥」 宗像大社 辺津宮 千木が外削ぎなのは何故? 結末編


ここでもステロタイプの回答で、うんざりしますが、宗像大社だけではなく神社庁全体の云い訳でしかありません。宗像大社辺津宮(高宮)には実は大国主命が祀られているのです。

詳しくは、「ひぼろぎ逍遥」105 宗像大社の本来の祭神とは何か? 同(跡宮)067 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。などをお読みください。

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百嶋神社考古学最終神代系譜(一部)

くどいようですが、「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」076 宮地嶽神社と安曇磯羅 H “宮地嶽神社とは如何なる性格を持たされた神社なのか?(中)” においてもこのように書いています。


正確にはスセリ姫=宗像三女神のお一人(瀛津嶋姫命)=市杵島姫は、金山彦と姻戚関係を結んだ大幡主の子である豊玉彦(ヤタガラス)の姉の子であるが故に栄えある瀛津嶋姫命という名を頂いているのです。

宗像大社が「古事記」により天照大神とスサノウの誓約(ウケイ)により生まれたなどと妙に格上げされている背景にはこのような事実が存在したからなのですが、では、私達、百嶋神社考古学の立場から主張する隠された宮地嶽神社の本来の祭神、阿部相凾(恐らくアヘorアベノショウカン)こと高良玉垂命の若き姿を投影したワカヤマトネコヒコとはどのような流れを汲んでいるのでしょうか。

なお、秦の始皇帝と縁組した瀛の一族については「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 069 宮地嶽神社と安曇磯羅 A“安曇磯羅が祀られているのか? 否!!を参照して下さい。

簡単に言えば、孔子が褒めそやし、秦の始皇帝に遡る権威を持つ中国ナンバー・ワン周王朝の末裔とした呉の太伯王の流れを汲む大王だったのです。

無題.pngだからこそ、高良玉垂命に金山彦の流れを汲む瀛(イン)氏も櫛田神社の祭神である白族の大幡主やその子ヤタガラスも阿蘇氏も従ったのであり、宗像族も九州王 朝の忠実なる臣下であった大国主命(瀛津嶋姫命=スセリヒメも田心姫=タゴリヒメも共に妃)を頂き神額には「奉助天孫来而為天孫所祭」(天孫を助け奉り天 孫に祭られる所と為そうではないか)と書いているのです。

宮 地嶽古墳の被葬者が宗像徳善君(天武天皇の妃、尼子娘の父である「胸形君徳善」)と か、それに縁のある豪族などと間の抜けた話をする方(九大=実は国士舘のNなど)などがおられますが、とんでもない酷い誤り(一応意図的ではないとはして おきますが…)であり、宗像族も天孫族(九州王朝)の臣下の一つでしかないのです。なぜならば、「天孫を助け奉り…」と臣下の礼を尽くした天孫こそが呉の 太伯の裔=高良玉垂命の若き姿である第9代開化天皇(ワカヤマトネコヒコ)だからです。

否定されるのは神社の御都合であり、お好きなようにとしか申上げませんが、当方が考える九州王朝の本拠地久留米高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」169pには異国征伐(神功皇后の三韓征伐のこと)時三百七十五人ノ神立が書き留められていますが、中級以下の神として大国主も書かれているのです。

無題.pngこのように、天孫たる九州王朝は大国主も臣下としていたのであり、その大国主を入り婿として受け容れ姻戚関係を結んだ宗像族だからこそ、本殿の千木は男神であることを示しているのです。繰り返しになりますが、宗像大社の巨大な神額に残された「奉助天孫来而為天孫所祭」との十文字は、天孫への帰順と奉仕を宣言し呉の太伯への肖りを高らかに宣言したものだったのです。つまり、宗像は宮地嶽の臣下だったのです。


千木は日本だけのものなのか

 無題.png最後に、千木、鰹木の千木は日本特有のものと考えられている方が多いと思いますが、実はそうではありません。

 以前もご紹介した、敬愛する故渡辺光敏氏の「日本語はなかった」にその事が触れてありますので、少し紹介しておきます。

元々、石ころと砂の砂漠と草原しかない北方系民族が千木や鰹木など使えないのは考えなくても解る事です。

ウダツでも同様ですが、社を競うことが許されるのは木材の豊な中国江南からインドシナに掛けての文化であり、列島に千木があること自体、倭人がどこからやってきているかをしめしているのです。

問題は、明らかに北方系と見られる民族の神社であっても、千木を継承している事は、先住者への入り婿として彼らの文化を受け容れ、いつしか自らが首領であったかのように振る舞いだしているからなのですが、戦利品として理解しているのかも知れません。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 09:35| Comment(0) | 日記