2019年12月09日

654 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! A 阿蘇霜宮 数理編祭神編

654 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! A 阿蘇霜宮 数理編祭神編

20180929

太宰府地名研究会 古川 清久


阿蘇神社の西に霜宮と呼ばれる小さな神社があります。

しかし、非常に重要な神社であって、阿蘇の「火焚き神事」が行われる神社として知られています。

この一帯は阿蘇外輪山、阿蘇五岳からの湧水が多い一帯で、杉が大量に植えられたものの、今でも自噴泉による遊水が見られる場所でもあります。

小さな神社であって、取り立てて問題にする必要のない神社のようですが、田尻研究によると、


阿蘇には開拓の神「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」は、弓の達人であった。

往生岳に腰をおろし、北外輪山の大きな石(的石 まといし)に向かって矢を射るのを楽しみにしていた。

家来の鬼八(きはち)が矢を拾っていたが疲れてしまい、命が放った100本目の矢を足の指にはさんで投げ返した。大事な矢を足蹴にされた命は怒り、鬼八を斬りつけます。

鬼八は逃げ、命はを追いかけます。命は南外輪山を超え矢部(現 山都町)で追いつき、鬼八を押さえこみました。

鬼八は隙をみては、また逃げます。追いつ、追われつつ。

命が鬼八の首や銅を斬っても、また元戻り。命はとうとう、首や銅をバラバラにして埋め、鬼八を退治しました。

そのとき鬼八は、「阿蘇谷に霜を降らし、この怨みを晴らしてやる」と言い残し命絶えました。

その後、鬼八の霊は阿蘇谷に霜を降らせ続けます。

農作物は枯れてしまい、命は鬼八の霊を慰めることにしました。

阿蘇谷の真ん中に「霜宮」をつくり、鬼八を祀り、毎年「火焚き神事」を行い、鬼八の御神体を温める神事が行われるようになりました。

【火焚き神事】

幼い火焚き乙女が火焚殿に籠って約60日間火を焚き続けるという神事で、その間は一歩も外には出ていけないという決まりがあります。

昔は学校にも行かず、先生が出張して授業をしていました。食事の世話などは付き添いのお婆さんが行います。

肥後国 くまもとの歴史による

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霜宮 カーナビ検索 熊本県阿蘇市 役犬原 0967-22-3111


祭神 天つ神7柱(「熊本県神社誌」)実際には不明当方未確認

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グーグル・アースで見ると良く分かりますが、宮司指摘の草部吉見神社との対称性についても再掲載予定ですが、急がれる方はひぼろぎ逍遥(跡宮)から以下をお読み下さい。

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驚愕の“炎のピラミッド” 003 図24-2 “草部吉見神社と神域(本境内地面積1,900u)”


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祭神についてですが、正直言って良く分かりません。神社庁の奥深く調べる必要があるでしょうが、阿蘇神社の下請けのような役割を担わされていますが、その基層には別の民族を考えさせます。

前述の通り 祭神 天つ神7柱(「熊本県神社誌」) この神々が何なのかは全く分かりません。

しかし、家来の鬼八の霊を鎮めるという話と同地の地名「役犬原」という特異な地名から考え、しかも、遊水池という古代に於いて最も重要な資源を持つ土地である事を併せ考えると、この要地の争奪戦が闘われたことが推定できそうです。

「役犬原」は恐らく「忌部」=「瀛」部であって、金山彦系氏族の先住地だったと思われます。

無題.png祭神 天つ神7柱(「熊本県神社誌」)の解明作業は不可能ではないでしょうが、無理してやる必要もないでしょう。恐らく金山彦系の神々のはずです。

現在、阿蘇神社の下請けになっていたとしても、その基層にあるのは阿蘇系の神ではないはずです。

 当日、霜宮の境内からは阿蘇根子岳、高岳が美しいシルエットが浮かび上がっていました。

 この長閑な阿蘇野の風景とは別に、驚愕の数式に基づく神社配置が行われていることについて誰も知ろうとも知らせようともしていないことに列島文化のバカバカしさを感じるのですが、田尻宮司のお話では、深夜、急に思い立ち、奥さんに手伝わせ、懐中電灯とメジャーで同神社の敷地を調べに来たことがあったとお聴きしました。

 このような独自の研究と努力には改めて頭が下がります。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年12月06日

653 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社 祭神編

653 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社祭神編

20180928

太宰府地名研究会 古川 清久


では、国造(クウォツウォ)神社の祭神に踏み込みます。無論、通説とは異なるところがありますのでそのつもりで理解して下さい。

阿蘇には火口湖の水抜きによる国造りの話があり、阿蘇健磐龍命による蹴破り伝説として知られていますが、恐らく最初に土地が造り出された場所こそこの阿蘇市手野(本来「タノ」と呼ぶべきで、この地名が宗像大社の東にもあります)だったことでしょう。

ここに鎮座するのは、格式から言えば阿蘇神社よりも権威ある大山咋(市杵島姫と草部吉見神との間に産れた)神なのです(高格式の意味は市杵島姫の子であるからですが…)。

 まずは、「同社由緒略記」「熊本県神社誌」を見ておきましょう。

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推定:大山咋、雨宮姫、速日、高橋or大山咋、鴨玉依姫、活玉依姫、御牧入彦、倭彦のうち4座とします。


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百嶋由一郎神代系譜 017阿蘇系譜@(部分)

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百嶋由一郎神代系譜 サニワ系譜(部分)黄枠の部分がより正確です


無題.png「同社由緒略記」「熊本県神社誌」をそのまま受ければ、四柱の神とは青枠の四神となるでしょう。

 しかし、大山咋=速瓶玉が草部吉見と市杵島姫(宗像三女神)の御曹司である事を考えれば、国造神社の祭神が雨宮姫と高橋、速日とは考えられないのです。「熊本県神社誌」は惟人命と若比売神(奈留多姫)としているようです。

 それは、草部吉見神と市杵島姫を親神であれば大幡主(白族)系の格式が高いはずで、その痕跡が全く認められないとはとても考えられないのです。

 このため、雨宮姫の系統から阿蘇氏の初代惟人が産まれている事を考えるなら阿蘇氏によって最低でも雨宮姫の系統に祭神が替えられているのではないかと考えるのです。その辺りに鯰神(豊玉姫)が祀られている(排斥の結果だと考えますが)こともその象徴ではないかと思います。

 ついでに申しあげておきますが、国造神社から数百メートル下った所に風神社があります。

 これも奈良の話などとされていますが、大嘘なのです。『日本書紀』の「広瀬・竜田神」の祭礼記事ですが、奈良には龍田神社(三郷町)、広瀬神社(河合町)があり、『日本書紀』にも、「広瀬・竜田神」の祭礼記事があります。

「龍田風神祭祝詞」があり、崇神天皇のとき五穀凶作が続いたので風神を龍田の立野に祀らせたとされているが、その舞台は奈良などではなく、熊本市から立野を通り阿蘇に入る白川の大峡谷のことではないかとの考えがあるのです。

 まず、夏目漱石が教鞭をとった第五高等学校(現熊本大学)の真北にある裏山が立田山であることをご存知でしょうか?寺田寅彦の下宿があったのもこの南の山裾だったのですが、この立田山の南を西に流れるのが白川であり、これを逆に東の阿蘇へと遡ると立野の大峡谷があるのです。

 実質的に「古事記」「日本書紀」を左右したのは阿蘇氏を起源とする藤原氏でした。

 彼らの故地は肥後であり、その内容が「記」「紀」に反映されているとしても不思議ではないのです。

 第3セクターの南阿蘇鉄道が分岐するJR立野駅は、鉄道ファンにならずともスイッチ・バックの駅として知られていますが、南阿蘇鉄道の大鉄橋が南阿蘇(南郷谷)へと渡り、観光シーズンには阿蘇への入口として大渋滞するのもこの峡谷一帯だったのです。

 このように、立田(龍田)と立野はピタリと揃っているのですが、まだ、強烈に符合するものがあります。風です。熊本空港はこの白川左岸の丘陵地にあります。空港は風向きに合わせて離陸の方向を変えるのが一般的ですが、強弱は別として熊本空港は東風が吹かないため、西にしか離陸しないという話を過去何度か聞いたことがあります。熊本は西に開いた平野を持ちますが、東は阿蘇の外輪山という大山塊があるため、ほとんど東風は入りません。

この大山塊が唯一切れていることは大津から噴煙が見えることでも分かるでしょう。

そして、西へと開いた大峡谷によって集められた風がそのスリットへと駆け上がり抜けて行くのです。

 詳しくは、以下をお読み頂きますが、元ネタは古田史学の会の正木 裕です。

 ひぼろぎ逍遥

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阿蘇高森の「草壁吉見」神社とは何か?  C  “龍田の神を立野に祀る!”


この風神社(恐らく風の神「支那都彦」=シナツヒコ=草部吉見神)や金毘羅神社(金毘羅は大国主とされますが、百嶋説では大山咋と考えます)も境外社として排除された形跡が認められますので、これも同社の祭神から崇神系、白族系が排除された様に思えます。

そもそも田尻研究でも阿蘇北宮=国造神社は天の北極23.43度傾いており、国造神社が妙見信仰の延長にある事が透けて見えるのです。

この風の神こと草部吉見神は雲南省麗江から列島に移動して来たことは何度も申し上げて来ましたが、だからこそ支那都彦と呼ばれていたのです。志那に変えているのは戦後の話なのです。

この支那都彦と市杵島姫の間に産れたのが国造神社の主神たる速瓶玉だったのです。

瓶もその父神である草部吉見神(別名塚原卜伝が信奉した鹿島大神=武甕槌)の甕(ミカ=カメ)なのです。

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2019年12月03日

652 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社 数理編

652 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社 数理編

20180928

太宰府地名研究会 古川 清久


まず、始めは阿蘇北宮とも呼ばれる国造神社(コクゾウ)神社から始めます。

阿蘇には火口湖の水抜きによる国造りの話があり、阿蘇健磐龍命による蹴破り伝説として知られていますが、恐らく、最初に土地が造り出され(水抜きは何回かに分けて行われたはずです)陸化した場所こそこの阿蘇市手野(本来「タノ」と呼ぶべきでしょうが)一帯だったことでしょう。

ここに鎮座するのが、もしかしたら阿蘇神社よりも高格式の権威ある国造神社なのです。

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 田尻宮司が発見された同社の正中線が阿蘇神社拝殿を通り、高岳山頂を正確に通る。同時に、以下…の記述には、その距離とその間に外輪山の北壁を介在していることを考えると正直驚愕を隠せません。

阿蘇神社、草部吉見神社との対称性の事実についても驚くばかりですが、「正確に阿蘇神社境内地面積の10分の1」くらいから理解していくしかないでしょう。従って祭神問題に入りたいのはやまやまですが、それは後回しにするとして、まずは、物理的な側面に集中し田尻研究の宣伝に努めたいと思います。

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