2019年07月15日

606 古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう A

606 古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう A

20180803

太宰府地名研究会 古川 清久

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B  藤原の祖草部吉見の父神で、阿蘇神社の最奥神殿に祀られる金凝彦は蘇民将来伝承の巨胆か?


金凝彦(カナコリヒコ)という神様はあまり知られていませんが、阿蘇神社を訪問された方は一番奥の神殿(熊本地震でも倒壊せずに残った神殿です)に祀られているのがこの神様です。


阿蘇神社の祭神 12柱、阿蘇十二神

一宮  :健磐龍命   初代神武天皇の孫      二宮  :阿蘇都比当ス 一宮の妃

三宮  :國龍神    二宮の父で、神武天皇の子  四宮  :比東芬q神  三宮の妃

五宮  :彦御子神   一宮の孫          六宮  :若比盗_   五宮の妃

七宮  :新彦神    三宮の子          八宮  :新比盗_   七宮の娘

九宮  :若彦神    七宮の子          十宮  :彌比盗_    七宮の妃

十一宮 :國造速瓶玉神  一宮の子 阿蘇国造の祖

十二宮 :金凝神     一宮の叔父 2代綏靖天皇(藤原が自らの血筋を天皇家風に格上げした)


阿蘇高森草部吉見神社の祭神 12柱(参考)

一の宮 日子八井命   二の宮 比東芬q命   三の宮 天彦命    四の宮 天比当ス

五の宮 阿蘇都彦命   六の宮 阿蘇都比当ス  七の宮 新彦命    八の宮 彌比当ス

九の宮 速瓶玉命     十の宮 若彦命     十一の宮 新比当ス  十二の宮 彦御子命


無題.pngこの系譜は草部吉見神社の大祭の時に公開されます。「ひぼろぎ逍遥」035を参照下さい。

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百嶋神代系譜(蘇民将来、巨胆将来)部分


さて、蘇民将来伝承はかなり知られているようですが、ご存じない方も茅の輪潜りはされた方が多いでしょう。


すなわち、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ、むとうしん)を裕福な弟の将来(『備後国風土記』では「或本作巨旦將來也」とあり、巨旦将来〈こたんしょうらい〉と表記され、金神のこととされる)は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼした。武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。

蘇民将来の起源

武塔神や蘇民将来がどのような神仏を起源としたものであるかは今もって判然としていない。

武塔神については、密教でいう「武答天神王」によるという説と、尚武の神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説が掲げられるが、ほかに朝鮮系の神とする説もあり、川村湊は『牛頭天王と蘇民将来伝説』のなかで武塔神と妻女頗梨采女(はりさいじょ)の関係と朝鮮土俗宗教である巫堂(ムーダン)とバリ公主神話の関係について関連があるではないかとの説を述べている。蘇民将来についても、何に由来した神かは不明であるものの、災厄避けの神としての信仰は平安時代にまでさかのぼり、各地でスサノオとのつながりで伝承され、信仰対象となってきた。   ウィキペディア20170211 0938による


 この蘇民将来伝承に関心を持たれる方は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から以下をお読み下さい。


371

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 C 宮崎県五ヶ瀬町鞍岡

の祇園神社の更に深部へ

370

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 B 分離先行トレッキング

361

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 A 鳥瞰

346

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜


詳しくは上を読まれるとして、重要なのは、この蘇民将来伝承の巨胆(草部吉見神の父神)と考えられるのです。

 まず、蘇民将来伝承はイスラエルの話にも似て、武塔神(スサノウ)が一夜の宿を断った裕福な巨胆の一族を皆殺しにするが、武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印としてその娘を除く弟巨胆将来の一族を滅ぼしたというものです。

 故)百嶋由一郎氏の手書きメモ(018阿蘇系譜@-2)には、豊かな弟の神沼河耳=金凝彦が巨胆であり、

貧しい兄の蘇民の神八井耳が蘇民であると記されているのです。

 阿蘇氏の本拠地が阿蘇谷から南阿蘇そして草部にあることは言うまでもありません。

 そして、スサノウの姉の神俣姫(クラオカミ)=神沼河耳=金凝彦(巨胆)を祀る神社が阿蘇の高森の草部吉見神社の南20キロほどの宮崎県五ヶ瀬町鞍岡に鞍岡神社(祇園神社)があり、今も蘇民将来伝承が色濃く残っているのです。

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祇園山の麓の祇園神社の縁起に見る「蘇民将来、巨胆将来」


 詳しくは4本の拙稿をお読み頂きたいのですが、まず、阿蘇の草部吉見神社を中心に半径230キロの中に阿蘇神社、草部吉見神社、鞍岡神社(祇園神社)が揃っているのです。

 恐らく、故)百嶋由一郎氏もこの事にお気付きになっていたと思うのですが、この鞍岡神社には神沼河耳=金凝彦(巨胆)のお妃であった闇龗神(クラオカミ)も祀られているのです。

 そもそも、この女神は鞍岡にいたからこそクラオカミと呼ばれていたのです。

 ここまで、見えて来ると、武塔神(スサノウ)が、何故、神沼河耳=金凝彦(巨胆)を皆殺しにしたかも見えてきたのです。

 もう一度、神代系譜をご覧になってください。 そもそもスサノウは金山彦の妹であるイザナミがイザナギとの間に産んだ子であり、金山彦の従姉弟にあたる神です。

無題.png そして、この闇龗神(クラオカミ)はそのスサノウの姉にあたるのです。では、右の方に目を移して下さい。神沼河耳=金凝彦(巨胆)は、闇龗神(クラオカミ)をお妃としながらも、神武天皇のお妃であったアイラツヒメをもう一人のお妃にしているのです。

しかも、そのアイラツヒメは金山彦の新たな敵となりつつあった熊襲(トルコ系匈奴)の大山祗の娘である神大市姫を妃として金山彦との間に産れた女神だったのです。

これを、金山彦の実質的な後継者であったスサノウは姉の不遇、粗末な扱いを絶対に許す事はできなかったと考えられるのです。

このスサノウ × 阿蘇戦争の背後には金山彦系から新興勢力の大山祗もう一つの対立が見えてきたのです。

 これで、高龗神が滅ぼされる時に闇龗神の一族が害されない様に過ぎ越しの印が必要とされた理由が見えてきたのでした。

 本当にイスラエルの過ぎ越しにそっくりの話ですが、それもそのはず、金山彦もイスラエル系であったと言っておられたのも百嶋由一郎先生でした。なんとかそこまでは理解できる所までやってきたようです。

そもそも鳥居の「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味なのです。

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百嶋神社由一郎氏の神代系譜、音声CD、手書きスキャニングDVDを必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年07月14日

ビアヘロ089 お蔭様で ひぼろぎ逍遥(跡宮)日量平均アクセス数が1000件の大台を超えました

ビアヘロ089 お蔭様で ひぼろぎ逍遥(跡宮)日量平均アクセス数が1000件の大台を超えました

20190531

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 以下は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)の20195月のアクセス実績を纏めたものです。

 これまで、月間アクセスが平均で900件代になった事は何度もあるのですが、ついぞ1000件を超えた事はありませんでした。しかし、ここにきてなんとか大台超えとなったようです。

 本来ならば、9か月先行しファイル数も多いアメブロ版「ひぼろぎ逍遥」がもっと多くのアクセス数を示していなければならないはずなのですが、CO2温暖化論デマ、ヒート・アイランドは国土交通省と農水省が引き起こした(打ち水大作戦の大間抜け)、昨年の九州北部の人工林崩落災害は林野庁が引き起こした…といった記事を連載していますので、恐らくアクセスを制限しているようです。結果、日量300350件に貶められているのです。本来なら両ブログで100万件でも決しておかしくはなかったのですが、だからと言って真実を書かないなら大嘘つき共の提灯持ちでしか無いことになるのです。

 ましてや、自称九州王朝論者でも行政権力の芸人に成り下がった連中がいる訳で情けない限りです。

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※ひぼろぎ逍遥に朝倉の豪雨災害など多くの人工林問題などを書いていた事もあり、アメブロはアクセス制限を掛けて来たようです。平均500600件のアクセスがあったものが300350件に落ちています。このため新ひぼろぎ逍遥を桜ブログで今年の11日からスタートさせ、神社専門のひぼろぎ逍遥(跡宮)版と併せ現在3本体制で運営しています。ひぼろぎ逍遥(跡宮)が日量1000件、ひぼろぎ+新ひぼろぎで400450件のアクセスとなり、年間アクセスが50万件を超えました。


ひぼろぎ逍遥は6年前からアメブロで書いてきたものです。

既に900本近いブログを公開しており、それまで500600件と安定したアクセスを保っていたものが、二〜三年前から後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)に抜かれるケースが多くなり、今や桜ブログのひぼろぎ逍遥(跡宮)が1000件、ひぼろぎ逍遥が日量300件のアクセスという逆転状況を示すようになってきました。

どう考えても、アクセスや検索の順位…といったものに制限が掛けられているとしか考えられず、早めに手を打つべきと考え、不正をやっていないと考えられる桜ブログに移行したのが今年の1月でした。

既に、新ひぼろぎ逍遥の記事数も70本になり、徐々にアクセスも上がってきましたので、何れはアメブロから完全離脱も考えているところです。

言論の自由が存在しているとか存在すべきであるなどとお花畑のような話はしませんが、ブログを二本立てにしておいて本当に良かったと思うこの頃です。

アメブロが嫌ったのは九州北部豪雨絡みの以下の記事が考えられますが、実はそれ以外にも多くを書いています。

blog ひぼろぎ逍遥

スポット112 行政が引き起こした人災だと何故分からないのか?

スポット115 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して!

スポット116災害復旧に意味があるのか?

スポット117ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”

スポット122大量の土壌流出と大量の木材流出は今後も継続する

スポット123筑後川の南から北の被災地を眺める 悲しい棄民国家の現実

スポット125朝倉から日田にかけての山々の行く末

スポット130九州北部豪雨災害の崩落木材が燃えている!

スポット134九州北部豪雨の棄民とポルトガルの内務相辞任

スポット141林野庁 農水省官僚の照れ隠し

スポット175中津市金吉の土砂崩落はなぜ起きたのか?

スポット191194 2018西日本豪雨〜熱波

スポット203北海道の巨大地震で起こった山崩れの意味するもの


647

SK建設によって水没させられたパテト・ラオの村々の悲惨を思う” @

634

キリシタン史跡世界文化遺産登録に狂奔する列島文化の堕落を撃て

626

行政が引き起こした列島のヒート・アイランド化によって豪雨と災害と灼熱地獄が発生した A

625

行政が引き起こした列島のヒート・アイランド化によって豪雨と災害と灼熱地獄が発生した @

624

日本版ニューオーリンズと化した倉敷市真備町の全町水没


スポット191193豪雨と熱夏

スポット031熊本人工地震について@

スポット032熊本人工地震についてA

スポット037首都圏のダムに水が貯まらない

スポット084地球温暖化が嘘である事をNASAが認めた

スポット085天皇のビデオ・メッセジに寄せて

スポット091 再度の3.11を警戒しクジラが打ち上げられないかと思っていたら…

スポット095半島は北主導で統一される! 2017,4,27

スポット098ケナフを植えたらCO2が減らせるなどと本気で考えた佐賀県職員

スポット100宗像沖ノ島世界遺産登録半潰れ

スポット106CO2温暖化論がデマである事をトランプが暴露した

打ち水大作戦の大間抜け

 まだまだありますが、恐らくこういった記事が商売上気に入らなかったからだろうと思います。

どちらにせよ、ひぼろぎ逍遥(跡宮)版だけでも日量1000件を達成し、他の二ブログと併せれば14001500件⇔年間50万件以上となり、将来的には100万件も視野に入って来たのです。ようやく一つの峠を越えた気がしています。既にグループ全体でのアクセスは200万〜250万件近くなっているはずで、百嶋神社考古学のグループは、古代史、神代史、神社研究に風穴を開ける時が来るかも知れません。

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本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:15| Comment(0) | ビアヘロ

2019年07月12日

605 古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう @

605 古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう @

20180803

太宰府地名研究会 古川 清久

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冒頭から通常は表に出さない神代系譜(百嶋由一郎047サニワ神代系譜)を登場させましたが、この系譜がかなり重要なのです。

今回は、この系譜に登場する神々の概略を述べながら列島の古代を考えて見ましょう。

これは、阿蘇氏系譜でもなくヤタガラス系譜でもなく高木大神系譜でもなく大山祗系譜でもなく、百嶋由一郎氏がいうところのイスラエル系の金山彦の系譜なのです。

この(本物の神武天皇の)時代九州王朝の中心である呉の太伯の後裔(つまり周王朝の後裔)を支えたのは金山彦=秦の始皇帝(諱: 嬴政 彼もイスラエル系)と姻戚関係を結んだイスラエル系の製鉄神でした。

しかし、この金山彦も多くの民族と姻戚関係を結ぶ事によって、徐々に倭国と言う初期の列島国家が成立していったことが見えてくるのです。

ただ、次には熊襲の指導者である大山祗の子の大国主系との確執が始まるのです(倭国大乱です)。

まず、阿蘇氏を考える上で重要な郡浦神社を訪れてはいかがでしょう?


@  蒲池姫と名を変えた吾平津姫(アイラツヒメ)つまり阿蘇氏の母神を祀る郡浦神社(宇城市)

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郡浦神社 カーナ検索 熊本県宇城市三角町郡浦2666  0964-54-0952



阿蘇神社(阿蘇市)、健軍神社(熊本市)、甲佐神社(甲佐町)と共に阿蘇四社ともいわれますが、草部吉見神社、国造神社(北宮)、小国両神社を別にしてどのような意味があるか分からないため考えるほどの事はないでしょう。

多少の意味があるとすれば、参道が雲仙普賢岳に真っ直ぐ延びる健軍神社、クマカブトアラカシヒコこと大山咋(オオヤマクイ)を主神とする甲佐神社と併せ考えると、有明海を挟み、高木大神の本拠地(四面神社)でもある雲仙岳(旧高来郡は高木大神の領域)の支配下にあった事が見えて来るのです。

特に重要なのは、石川県七尾市のクマカブトアラカシヒコ神社です。この神社は草部吉見と市杵島姫の間に産れた大山咋を祀る七尾に展開した甲佐神社であり、甲佐の熊本(クマ)の甲(カブト)佐(アラカジ)=阿羅伽耶国への舵取りの意味がこの神社の名に表現されているのです。

緑川の溯上限界の甲佐神社から船で有明海に出て対馬海流に乗れば半島には容易く移動でき、高木大神の本拠地であった朝鮮半島の大邱(テグ)に移動できたのです。

復路も一旦は半島から敦賀、七尾に移動し、日本海を反転流に乗って九州まで戻っていたと考えられるのです。

そして、大山咋=速瓶玉(ハヤミカタマ)の子の後の神武僭称ハツクニ神武の名を思い出してください。

「ツヌガノアラシト」ですね、要するに、「ツヌガ」(R音実はL音が苦手な日本人はN音で代行しツノガと呼んでいるのでしょう)にやってくる「アラ」(阿羅伽耶国)の「シト」人(江戸っ子同様「ヒ」と「シ」の発音が怪しいのです)という意味になるのです。

このように、高木大神の本拠地である島原半島から朝鮮半島の伽耶との関係が色濃く見えるのが、健軍神社、甲佐神社、郡浦神社なのです。

従って、高木大神系の海上交通を司った三神社はそれだけで深いつながりがあると見えてくるのです。

崇神の弟の椎根津彦も舵取りの意味で、神武東征とされる偽神武崇神の舵取りとして知られるのです。

ひぼろぎ逍遥から

183神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”

285 北北東に進路を取れ! D 石川県七尾市のクマカブトアラカシヒコ神社  をお読み下さい。


@  杉山姫と雨宮姫

まず、川崎市〜町田市辺りの地図をご覧ください。グーグルで単に「杉山神社」を検索しただけですが、

これほどの数の杉山神社が表示されました。

 この武蔵の一角に阿蘇系氏族が大量に入っている事がお分かり頂けると思います。

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杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛神スサノオの子)や日本武尊主祭神とする神社である。武蔵国における式内社の一社とされるが、その論社とされる神社は現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市東京都町田市稲城市などに数十社存在する。 本項では上記以外の杉山神社についても一部触れる。

杉山神社は周辺地域に住む民衆の信仰の中心として鶴見川水系沿いを中心に拡大したとされるが、謎の多い神社である。鶴見川の他に帷子川および大岡川水系、多摩川の右岸(川崎市・稲城市)に存在するが、多摩川を超えた領域には存在しない。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』では杉山神社が全部で72社あると記されているが、その後の合祀や社名変更などにより現状で宗教法人登録されている「杉山」(椙山も含む)が付く神社の合計は44社となっている。

平安時代の貞観11年(869年)に編纂された『続日本後紀』では「枌山神社」と記述される古社で、同書では当社が承和5年 (838年)2月に官弊を賜り、また承和15年(848年)5月には従五位下を授かった旨が記されている。さらに延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』では「武蔵国都筑郡唯一の式内社」との記載もされている。しかしその本社は比定されておらず、未だ多くの論社が存在する。なお、論社のうち現在では横浜市(緑区西八朔町、都筑区中川および茅ケ崎中央、港北区新吉田町)にある4社が最有力とされている。

「鶴見神社 (横浜市)#杉山神社と鶴見神社」も参照

名称の由来については、杉山に祀られていたという説や樹木の神である五十猛命と杉林に因むという説、船舶材として使用されていた杉の木に因むという説など諸説ある。また当社の由緒についても不明な点が多いが、出雲民族の末裔(五十猛命)が紀州熊野より海人族を引き連れて伊豆半島や三浦半島に辿り着き、後者を経由して鶴見川水系に住み着いた一族の頭領が杉山神社を創建したという説がある。なお、三浦半島の三浦郡葉山町上山口には旧相模国で唯一の杉山神社があり、さらに同神社の「元宮」と呼ばれる社も周辺の山中に鎮座しているが、旧武蔵国における杉山神社との関係は不明である。この他、茅ケ崎中央の杉山神社に伝わる由緒では「天武天皇白鳳3年、安房神社神主の忌部勝麻呂(紀州系忌部氏)によって武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命)の3柱が祀られ、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった」とされている

ウィキペディア(20180803 1045による

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藤原氏の祖であり鹿島大神=武甕槌 春日大社の表向きの祭神である、阿蘇高森の草部吉見神と高木大神との間に産れた天豊ツ姫(神武の子である威徳天皇のお妃)を経て阿蘇津姫に復し、天比理刀A寒川姫、杉山姫と名を変え最期に杉山姫と呼ばれたのです。

ウィキペディアの 杉山に祀られていたという説や樹木の神である五十猛命と杉林に因むという説、船舶材として使用されていた杉の木に因むという説など諸説ある。は、お笑いで済みますが、杉山神社に伝わる由緒では「天武天皇白鳳3年、安房神社神主の忌部勝麻呂(紀州系忌部氏)によって武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命)の3柱が祀られ、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった」とされているについては無視できません。

最初に掲げた百嶋由一郎氏が残された神代系譜をご覧ください。その黄枠の部分と通底するのです。

阿波の忌部こそヤタガラスの後裔氏族ですが、問題の多かった(威徳天皇のお妃や健磐龍のお妃煮もなるのですが収まらず…里に帰っているようなのです)阿蘇津姫は草部吉見が最終的に豊玉彦=ヤタガラスに引き受けてくれる形で収まったと言われているのです。

しかし、健磐龍と天豊ツ姫の間に産れた孝霊天皇の後裔である孝元、開化である事を考えれば、阿蘇氏の血もこの杉山姫を経由し九州王朝にも注がれている事も分かるのです。

この杉山姫の娘が雨宮姫なのですが、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から、関心をお持ちなら以下などをお読み下さい。            233 人吉盆地の雨宮神社(熊本県相良村)再訪 “悲劇の雨宮姫”

なお、最終的に杉山姫を引き受けた豊玉彦との間に天日鷲の一族も産れているのです。

この一族こそは阿波国を開拓した阿波の忌部の中心勢力であり、伊勢を経て相模、武蔵に展開しているのかも知れません。これについては山梨からの陸路も考えていますが今後の課題です。


百嶋神社由一郎氏の神代系譜、音声CD、手書きスキャニングDVDを必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記