太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「百嶋神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログを継続しています。


これにはプロバイダーを含め何時情報封殺が行われるかも知れないため、最低でも複数の発信媒体を準備しておくべきではないかと考えているからでもあります。


今後ともかなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史によるblogひもろぎ逍遥に対抗しようという意図はないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象なども認められます。


 さて、現在、ひぼろぎ逍遥とひぼろぎ逍遥(跡宮)との合計のアクセス数は日量10001200件(年間4045万件)まで上がっています。


 同時に、連携する研究者によるblog20近くまで数を増やしており、全体では最低でも年間100150万件近いアクセス数を持っているものと思われます。


 当blogには九州王朝論から百嶋神社考古学へと向かわんとする多くの研究者、記録者、bloger…が参集されています。


 年に10回、10年でも高々100回程度の研究会でも大半は教育委員会関係者から学芸員といった利権まみれの方々通説を拝聴し心服するような、研究者亡き研究会は全く何の価値もないものと考えており、そのようなどこにでもあるような話を好まれる方々は、そこら辺りの既存の郷土史会、史談会に行かれ、村興し、町興し、世界遺産登録に拍手を送り、思いっきり尾を振られれば良いでしょう。


しかし私達は後ろ指を刺される様な探究に踏みとどまり、これまでの歴代の行政権力が隠し続けた真実の歴史の探求へと向かう人々への道標と成ろうと思うものです。




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2018年01月17日

416 奥出雲の神々 23 河内の金刀比羅神社

416 奥出雲の神々 23 河内の金刀比羅神社

20170524

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


迂闊にもこの一社だけは訪問し忘れのため、スケジュールの合間を見て、再度、奥出雲に入り確認してきました。

まさに、この一社のためだけに二泊三日をかけ一〇〇〇キロ余りを走ったのでした。

高速は関門橋のみですから往復1,000円、燃料代が4050リットルで5000円程度、それにお賽銭…となるのですが、ようやく奥出雲町の全ての神社を確認する事ができこのリポートが完結できることになりました。

と、言っても「島根県神社誌」外を入手し、再度、詳しくリポートするための準備作業と言う方が正しいでしょう。

もちろん、ただ、一社で往復するはずもなく、次の調査予定地である太田市の下調べのため10社ほど訪門し足早に戻ってきたところです。

本来は、のんびり温泉でも入りながらゆっくりと神社を見て回りたかったのですが、スケジュールも立て込んでおり、そういう訳にも行きません。

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鎮座地に近い辺りまで来たものの、それらしきものがない中で、探し回っていると、洗濯物を干しておられたおばあさんにお尋ねしてようやくその在処が分かりました。

正面の山中の一角にあるとの事でした。

お話では、正面に人が通る事ができる道があり、“私達は30分掛けて歩きます。倒木が無ければ良いですが…山中としては鳥居も立派なものがあります…。”との話で、どうやら、全神社中、最もハードな神社を残した事になったようです。

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このような参道も過疎化高齢化が進み管理する人がいなくなっているのです

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これが神社への参道ですが、正面の石州瓦の立派なお宅も既に廃屋なのです


おばあさんのお話では隣の集落(どちらも河内)と併せて祀っているもので、その中間の峠の様な場所に神社が祀られたようです。

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金刀比羅神社 カーナビ検索仁多郡奥出雲町河内515番地


この阿井川も大吉川との合流地名の会川の意味ですね。

寺も一つ二つはあるものの、ダム建設の移転でもあったのか人家の数も少なく、いずれ祭祀が消え去る運命のようです。

実は、中国山地に河内神社なる祭祀が数多く存在しており、本来は河内神社ではなかったかとも考えています。しかし、情報量が少な過ぎ想像レベルにとどまっています。

金毘羅信仰は江戸時代に幕府のフィクサーであった天海僧正が山王一実神道を発動しますが、結果、元の祭祀が金毘羅に置き換わったのかも知れません。

十五分ほど山道の参道を登ると(まだ多少は私の方が速くてほっとしましたが…)、おばあさんのお話の通り確かに鳥居が見えて来ました。

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参道脇には素掘りの井戸が置かれていました。概して、峠の神社に水が無いのは当たり前で、清浄な地であれば、小さな湧水もあったはずで、そうでなくても雨水を集めるだけでも井戸にはなったはずなのです。神饌、神泉、神仙…として神社に欠かせない水を得る方法としては合理的です。

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今回はこれれを見る事ができただけでもこの神社にやってきた甲斐があったという気がしました。

では、社殿をご覧ください。

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参拝殿

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奥出雲町の中心部からかなり山中に分け入った辺境集落である事は明らかです

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県神社庁のデータでは、祭神は金山彦命・素盞鳴命とされています。

一般的に、金毘羅さんは大物主(諸説あるが…)説はあるものの、大国主命とされる事が大半で、金山彦命・素盞鳴命とされる例に遭遇した事がありません。

にもかかわらず、金山彦命・素盞鳴命とされている理由は、江戸期に金毘羅さんに変わっただけで、本来の祭神がそのまま残されているのではないかという印象を受けてしまいます。

そこで思い出したのが司馬遼太郎の『熊野・古座街道、種子島みちほか 街道をゆく (8)』でした。

古座川を訪ねた司馬遼太郎氏は、河内島(河内神社)について次のように書いています。


崖っぷちに玉垣がつくられていて、参拝所めかしく仕つらえられている。沖縄で言えば拝所(ウガンジョ)である。沖縄では神社(御岳(うたき))は古神道どおり社殿をもたない。この熊野の河内神社もそうであった。

崖っぷちの槙の樹のあいだから川をのぞいてみると、なるほど川が岐(わか)れて、形態として河内を為している。瀞(とろ)の青みはまことに碧潭というにふさわしく、その青い流れに洗われて河中に一個の岩礁が盛りあがっている。

その岩礁が、どうやら神の憑代(よりしろ)になっているらしい。古代シャーマニズムが、古代形態のまま息づいているというのは、日本でもめずらしいといえるのではないか。

文献によると、憑代であるこの岩礁の神の名は、スサノオノミコトであるという。韓神(からがみ)である。韓神だからこの地域に朝鮮から渡来したひとびとが住んでいたというのではなく、この祭神は平安期の流行神(はやりがみ)だったからに相違ない。

本来、神に名などはなかった。 河の中の奇礁だから神が宿るにちがいないという古代の形而上的意識がこの岩礁を神聖視するにいたったに相違なく、この岩礁はこの宇宙に一つきりしかないから名などつける必要がなかったのである。                           「朝日文芸文庫」


 どうやら司馬が言うように、河内の神はカラカヌチであり、金山彦、スサノウが本当で、金毘羅さんは後付だったような気がします。

 これで、長年といっても数年ですが、悩み続けて来た瀬戸内海沿岸の山奥に顕著な河内神社の本質をようやく捕えたような気がしています。

 多分、この辺境の集落もカラカヌチの住み着いた地であり、戦後70年が経ち(戦後もしばらくはたたら製鉄は残りますが、森浩一が目撃した最後のカンナ流しは昭和30年前後で終わりになります)、いよいよたたら製鉄の火が完全に消えるとともに集落も潰え去る事になるのでしょう。

 北風が北向きの谷を通り道として入る山陰の谷地集落ではさかんに製鉄が行われていたはずで、河内もそのような集落の一つだったはずなのです。

 そして、「もののけ姫」の舞台の様な集落の一つがこの河内であり、韓鍛冶(カラカヌチ)のカヌチが、カヌチ→カウチと呼ばれ、「河内」と表記されるに至ったのではないかと思うのです。

 そうでなければ、一所に「河内」という集落が山を挟んで存在するはずはないのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:01| Comment(0) | 日記

ビアヘロ030 阿蘇の神社群はπやφは元よりフィボナッチ数列を駆使するピラミッドの法則で造られていた

ビアヘロ030 阿蘇の神社群はπやφは元よりフィボナッチ数列を駆使するピラミッドの法則で造られていた

20171221

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

神社のパワー・スポット・ブーム(ぱあ・スポット?)とは、ほとんど人為的に創り出されたものでしかありません。

当然、大手マスコミ(新聞、TV)や「トランプ報道」、「不正選挙」も世論操作がなされたものでしかなく、戦後のマッカーサー〜GHQの占領政策以来、ほとんど全ての情報が管理されていると思うべきでしょう。

今は極限まで愚民化政策が完了しており、世界最高水準の8Kテレビジョンを創る国家に於いて、芸人、オカマ、ハーフ、外人による安物番組ばかりという世界最低水準の番組を享受しているのが我が日本列島(劣等)民族の成れの果てと言えるでしょう。最早何をか言わんと言うばかりの様相を呈しているのです。

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神社のパワー・スポット・ブーム(ぱあ・スポット?)に関しては一部仕掛けられた形でこの阿蘇でも起こっているのですが、この本物中の本物と言えるパワー・スポットと言えるものがあるのです。

実は、阿蘇の神社群とピラミッドを形成する“南阿蘇村の八坂神社は、殆ど知られる事もなく、現在も静かに鎮座しているのです。 この事については、以前にも何度かお伝えしています。


ひぼろぎ逍遥

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阿蘇の神社群とピラミッド “南阿蘇村の八坂神社を訪ねてみよう”

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南阿蘇村八坂神社の炎のピラミッド @


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

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驚愕の“炎のピラミッド” 004 図26-1,2 “八坂神社両神社の、境内地の具体的な対称性”

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驚愕の“炎のピラミッド” 003 図24-2  “草部吉見神社と神域」(本境内地面積1,900u)”

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驚愕の“炎のピラミッド” 002 はじめに “阿蘇南北の大地の形成を考える”


などに於いて、何度かとり上げていますが、阿蘇の神社配列 阿蘇郡内8社と郡外の3社、甲佐神社(甲佐町)、健軍神社(熊本市)、郡浦神社(宇土市三角町)は各々標高も全く異なるのですが、非常に正確に三次元的なピラミッドの一部を形成する様に配列され、しかも、参道、参拝殿、神殿配置から境内地の形状さえもが計算され尽くされて造られているのです。

この驚愕の事実は既に平成9年の地理情報学会(通常は東京大学)に於いて、「古代火の国の『ピラミッド状の神社配置の謎と意味(炎のピラミッド)』について」として田尻盛永八坂神社宮司(0967-62-9611)阿蘇郡南阿蘇村一関660より発表されています。

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一関八坂神社(祇園社)


再掲載


092 阿蘇の神社群とピラミッド “南阿蘇村の八坂神社を訪ねてみよう”

20140603

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

阿蘇の神社と言えば、健磐龍命(たけいわたつのみこと)を祀る一の宮町の阿蘇神社と相場が決まっているようですが、密かに湧きあがりつつある神社ブームの中で、それ以外の重要な神社にも目が向けられつつあるようです。

 参拝者増加に当会も関係している草壁(草部)吉見神社、決してクニノミヤツコなどと間の抜けた呼び方をなさらないようにして頂きたいのですが、北宮 阿蘇国造(コクゾウ)神社、境内に入られた方だけならば最も多いはずの、白川水源の白川吉見神社、遠く離れて小国町の両神社(小国神社)や御船町の甲佐神社など、徐々に参拝者が増加しているような気がしています。

 ところが、自分自身の認識も遅れていたのですが、非常に重要で無視できない神社があったのです。

 それが、これからお知らせする、ど偉い神社 八坂神社です。

 まず、阿蘇に八坂神社があるのか?と、お思いの方が多いと思います。


 最低でも、ご紹介したblog五本を読まれれば驚愕の事実に直面し、それこそパー・スポット・ブームなど吹き飛ぶような問題に思考が狂わされるような事になるでしょう。

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左から、この神額が非常に珍しいことから、まずは、実見となったものです。もしかしたらメノーラかも知れません。社殿はこの階段を上がります。見た目は小さな砦ですね。社殿は至って穏やかでした。

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本殿上の紋章


本殿の紋章は丸に花沢瀉(オモダカ)のようですが、今のところ保留します。

これは、神紋ではなく同社を庇護した一族の家紋ではないでしょうか?


 当然ながら、祇園神社とか出雲系とか評価が一般的ですので、阿蘇に?となるのは自然な成り行きかも知れません。

 少なくとも、祭神を考えれば、:素戔嗚尊、櫛稲田姫命、その子(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)となるのですから仕方がないのかも知れません。

 ただ、太宰府地名研究会の神社考古学班としては、スサノウとアマテラスの衝突も九州を舞台にして起こったこととして探索を進めており、事実、メンバーの数名は、結局、「出雲神話」の舞台は九州だったいった話を日常的にやっています。

 このような話をするとご迷惑をかける向きもありますし研究途上の話でもあることから、通常はオオッピラには申しあげておりません。

 ただ、今回、ご紹介したいのは、国造神社を中軸に阿蘇神社と霜神社が、阿蘇山を挟み寸分たがわず、八坂神社と竜王社に対して配置されているということと、他の重要な神社も正確に配置されているという事実であり、その具体的事実を発見されたのが八坂神社の宮司であるということです。

 この手の話は安本美典による奈良の地名の話などと同様なものと考えられるかもしれませんが、大雑把な地名対応程度の話ではなく、最低でも古代の正確な測量技術を浮かび上がらせるものだったのです。

 宮司は2008年に『古代「火の国」の象徴「炎のピラミッド」の発見』田尻盛永/著(熊本出版文化会館)\4500.-として公刊されています(百冊程度の残部あり)。冒頭から、ほんの一部をご紹介しましょう。


…こうした火の国全土に亘る神社群配置の中心は、阿蘇谷と南郷谷とに「対」にして奉祭されている「阿蘇神社と八坂神社」にあるが、この2社に、それぞれ補完社である「霜神社と竜王社」を加えて4社。この4社を結ぶと「北北西22.7度」(2242分)に傾いた「性格無比な細長い平行四辺形」が浮上してくる。…


 当然にも、この重要性にいち早く気づいた地理情報システム学会において、平成91997)年「古代火の国の『ピラミッド状の神社配置の謎と意味(炎のピラミッド)』について」を発表されています(於:工学院大学/事務局:東大)。

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参拝殿横にもこの図面が金属板で掲示されています


著書には高等数学に基づく多くの数式と図が配されていますが、全てをお知らせする事は不可能で、著書を購入されるなり、論文を入手されるなり、お近くの方は、直接、神社に訪問され著書を入手されたい方は購入できると思いますのでご参拝頂きたいと思います。

差し障りないと考えますので、住所連絡先をお知らせします。なお、詳報は別稿とします。


無題.png869-1504 熊本県南阿蘇村一660 八坂神社 0967-62-9611


風光明媚な南阿蘇、白川沿いに社殿、宮司宅はあります。南阿蘇鉄道の中松駅付近とお考えください。


さて、2012年公開の映画「ピラミッド5000年の嘘」をご覧になった方は多いと思います。

DVDも販売はもとより、レンタルも行われていしたので、かなりご存知の方はおられるでしょう。

本編の中でも、ギザのピラミッドが4面体ではなく8面体だったとか、メートル法、円周率π、黄金分割、フィボナッチ数列といった数式を駆使してピラミッドが造られていたといった高等数学のオンパレードでしたが、あの時代にピラミッドが黄金分割などの言わば秘法が駆使して造られたものだったという衝撃的な事実が明確になったのでした。映画を見られた方は是非…。

そして、これと同じ構造が阿蘇の神社群にも適用されているといった話になってくるのですが、それはまたにして、まずは、南阿蘇の八坂神社におでかけ頂きたいと思います。神社の維持には多額の資金が必要ですので、お賽銭はお忘れなきようお願いします。詳しくは神社にお尋ねください。

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さて、以前の御著書は4,500円と多少高めでしたが(勿論、立派な想定ではあったのですが)、改訂版はコンパクトにまとめられ1,500円と求め易くなっています。

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田尻盛永八坂神社宮司(0967-62-9611)阿蘇郡南阿蘇村一関660


 に直接お問い合わせされれば早めに手にする事ができるでしょう。

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阿蘇小国両神社と八坂神社の対称性を考えると、両方の神社の性格を改めて考えざるを得なくなります。

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 11の神社群が正確無比な対称性とピラミッドの配置になっている事には脅威をすら感じますが、これらが、宮司の想定では6世紀前後に全て成立していると言われるのですから、最低でもピラミッドを造った人々が入って来ているぐらいの話は必要になるのです。

ぱあ・スポットを追い求める方は、せめて、同社を訪れ、驚愕の事実を知るべきではないでしょうか?


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:07| Comment(0) | 日記

ビアヘロ 029 盛り蕎麦と掛け蕎麦  “籠池氏と加計氏とはどのような人々なのか?”

ビアヘロ 029 盛り蕎麦と掛け蕎麦  “籠池氏と加計氏とはどのような人々なのか?”

20170713

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 当然にも森友学園と加計学園の関係者の意味です。

通常、国会審議など、与野党を含めたグルによるお笑い番組=猿芝居=八百長=やらせ…としか考えていないのですが、今回の「閉会中審査」に関しては、正面切った正統性の主張がぶつかりあっているように思えた(初めて国会審議といったもののそれこそ劇場性の綻びが見えた)事から、蓮舫氏から青山繁春氏…まで、全てラジオで聴かせて頂きました。

勿論、このくだらない見せかけの民主主義制度など何の価値も見出していないため、当然にもこれまで同様、投票に行くつもりは毛頭ありません(選挙で投票に行くほど政治意識は低くないつもりですので)。

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私自身も完全には勤め上げられなかった某藩の下級藩士でしたから役人の生態には精通しているつもりですので、見上げる様な高級官僚の在り様に。一抹のしかし深刻な対立、ひずみが生じている事は良く分かりますし、背後に何らかの政治的変動が起こっている事も想像が付きます。

しかし、そのような生々しい政治の話をするのが今回の目的ではありません。

我々は神社研究者ですので、その観点から見ているとある種の面白い現象が見えることから、この側面に光を当てて調べて見ようと思ったものです。

まず、お二人から考えて見ましょう。森友学園の籠池 泰典氏と加計学園の加計 晃太郎理事長です。


@  森友学園の籠池 泰典 前理事長

「籠池泰典」

195327日 香川県高松市にて生誕。実家は海運業だった。

19634月 籠池海運の倒産に伴い一家で兵庫県尼崎市へ転居。

19773月 関西大学商学部を卒業。4月 奈良県に新卒で採用[5]

1979年 森友学園創立者の娘と結婚。…以下省略

ウィキペディア20170716 10:43


 無題.pngまず、「籠池」という姓自体が非常に珍しいものである事は始めから気付いていました。

 しかし、全国で13件ものレアものとは思いもしませんでした。

 勿論、少ない姓というものはそれなりに意味のある重要な氏族である場合が多い事から、ご本人の類まれなキャラクター(まず、吉本興業でも直ぐにトップスターになれる素晴らしいタレント性を持った方です)にも拘らず、それなりに謂れのある氏素性であることは一目です。

 特に香川、兵庫(淡路島南部限定)に中心がある事から、それだけでもある種のイメージが湧いてきます。讃岐、阿波から熊野に掛けては忌部=豊玉彦=ヤタガラスの領域ですね。

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高松と言えば田村神社ですが、大幡主と山幸=ニギハヤヒ、孝霊、孝元、開化の流れのエリアなのです。

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香川県高松市にある神社。709年創祀。祭神は田村大神(倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天隠山命(あめのかぐやまのみこと)、天五田根命(あめのいたねのみこと))讃岐国一之宮。「定水(さだみず)大明神」「一宮大明神」とも呼ばれる。                            (コトバンク)


祭神は以下の5柱で、「田村大神」と総称される。

倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)

五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと) 別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)。

猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)

天隠山命 (あめのかぐやまのみこと) 別名を高倉下命(たかくらじのみこと)。

天五田根命 (あめのいたねのみこと) - 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)。

田村大神について、中世の書物では猿田彦大神[2]や五十狭芹彦命を指すとされ、近世には神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社殿創建前は井戸の上に神が祀られていたという社伝から、元々は当地の水神(龍神)であったとする説もある。        (ウィキペディア)


さて「籠池」ですが、籠とは何でしょうか? まず、天橋立の籠(コノ)神社が頭に浮かびます。

 この「籠」については、佛教大学の 黄 當時教授からポリネシア系言語のカウヌイ、タウヌイという大型の外洋性カヌーの置換えとの説が提出されています。

 「コノ」は「カヌー」の置換えで、「カウ」がポリネシア語の船で「ヌイ」が大きいという意味の後置修飾語という話です。

 詳しくは太宰府地名研究会のHPから以下を検索して下さい。

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その意味で、籠池氏のご先祖が海運業をされていた事、籠神社の宝物、物部の海部の「海部文書」があること、伊勢神宮にも繋がる一族にも思えてくるのです。伊勢も大幡主とヤタガラスのエリアです。

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また、籠池の籠は「籠目紋」の籠である可能性も見て取れるのです。

 ユダヤの神紋とも重なり、大幡主系の伊勢神宮、大江山皇大神宮、籠神社、上賀茂神社、下賀茂神社…

といったものを無視せざるを得ないのです。

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籠(かご)の目=ユダヤの六芒星の内側が籠目紋とも言えますが、六芒星そのものでもあるのです。

少し、籠池さんの顔つきにポリネシアンの影が見え、その背景(南方系海洋民)が見えてきた気もしませんか?


@  加計学園の加計 晃太郎理事長

「加計 晃太郎」

加計 晃太郎(加計 孝太郎、かけ こうたろう、1950年または1951年生まれ)は、日本の学校法人経営者。学校法人加計学園理事長・総長、広島加計学園長、フィンドレー大学理事、日本私立大学協会理事、岡山県国際交流協会理事、岡山県郷土文化財団理事。岡山県日中教育交流協議会参与。特定非営利活動法人日本・ミャンマー医療人育成支援協会顧問、岡山北ゴルフ倶楽部理事。

広島県出身。立教大学文学部卒業。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に語学留学。父は加計学園グループ創始者加計勉。語学留学中にアメリカで安倍晋三と知り合い、以来、交友がある。

ウィキペディア20170716 15:04


無題.png 中々気品のある風格ある方ですが、私にはこの方の素性が直ぐに分かります。

 皆さんは「白川伯王家」というものが存在している(していた)事をご存じでしょうか?

 詳しくは、ひぼろぎ逍遥(跡宮)106 白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)” ひぼろぎ逍遥 369 安芸太田の長尾神社と飯塚市鹿毛馬の厳島神社 ひぼろぎ逍遥 322 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 D “広島県旧加計町中心部の長尾神社”をお読み頂きたいのですが、要は、明治維新まで天皇家の宮廷祭祀を司っていた白川伯王家(ヤタガラス系裏天皇)の流れを汲む人々の一部(恐らく主流)が加計(カケ)姓を名乗っているのです。

 その前に加計姓の分布を、例によって姓名分布&ランキングからご覧いただきましょう。

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こちらも56件(あくまでも姓名分布&ランキング調べによるものですが)と、こちらもそれなりに有力な氏族である事が分かる家系のようです。

そこで、中国自動車道に「加計スマートIC」があることを思い出して下さい(広島県山県郡安芸太田町加計)。

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この安芸太田町加計に長尾神社があるのですが、ひぼろぎ逍遥 322 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 D “広島県旧加計町中心部の長尾神社”では、このように書いています。


いずれにせよ、旧加計町から安芸太田一帯は物部氏を思わせるものが多数感じられます。

その本体が何であるかを判断する根拠の一つに厳島神社の一族=白族=大幡主=ヤタガラスが関係している事だけは確かです。


鎌倉時代の終わり頃(1331頃)大田川の上流、戸河内町に来栖という土豪がいてこの土居を中心に勢力を張った。郷内に各地に一族、庶家を分封して所領の確保をはかる、太田郷。

栗栖氏の先祖は京都の「栗栖野」(現在の山科区栗栖野)に住んでいたという説がある(栗栖氏の先祖は石清水八幡宮第32代神主の田中宗清の子となっている)「発坂城」は栗栖氏の総領家が代々本拠にしたといわれる。

この地方は古くから厳島神社の社領であり、栗栖氏は厳島神社の神主家である藤原氏の支配下の神領衆の一人とも言われている。

HP「紀氏の荘園・姓(国別 )」より

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この加計の一帯に厳島神社の社家の一族が入っている事は確実なのです。

では、この加計という地名はどこを起源としているのでしょうか?

これについても、ひぼろぎ逍遥 369 安芸太田の長尾神社と飯塚市鹿毛馬の厳島神社 でこのように書いていたのです。

それは、加計インターの「加計」という地名についての話です。これについては前回のリポートを書く時点でも気付いていましたが、この地に住み着いていた人々のルーツについて思い当たる事があるのです。

厳島神社からの宗像三女神の勧請で、加計(カケ)地名ならば、この地に住み着いた人々は、福岡県飯塚市の鹿毛馬(鹿毛馬神籠石で著名)からの移住者、若しくは縁故者としか考えられないのです。

飯塚市鹿毛馬の地名の意味は鹿毛の間の意味で、中間、赤間、福間、和間、須磨、大間…といった湾奥地名の一つで(古代遠賀湾の最奥部)、本来、地名の根幹は「鹿毛(カケ)」=「加計」にあります。

しかも、この地にある飯塚市鹿毛馬の厳島神社は、本来は宗像大社や宮島の厳島神社よりも遥かに高格式の神社(白川伯王家)と考えられ、その一族、縁故者の移住(避退)によって、この安芸太田の地に入られたのだと思うものです。

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この鹿毛馬の厳島神社については、ひぼろぎ逍遥230 白川伯王家源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”外で書いていますので参考にして下さい。

 なお、地図の「鹿毛馬」の隣の大字が「佐與」であることがお分かり頂けると思いますが、厳島神社の社名のルーツである市杵島姫(瀛津嶋姫)の別名である佐與、佐用、佐用…であることがお分かり頂けると思います。市杵島姫はこの地で産まれたか?幼少期をすごされたからこそ佐用姫とも呼ばれたのです。

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厳島神社 カーナビ検索 飯塚市鹿毛馬字宮下1083


 詳細はこれらを読んで頂くとして、広島県の出身とされる加計学園の加計 晃太郎が、この白川伯王の一族の後裔のお一人であり、この一帯で有名な「加計隅屋鉄山」の経営者の一族の後裔の人物である可能性は非常に高いように思うのです。

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飯塚市鹿毛馬の厳島神社参拝殿の神紋(三つ盛り亀甲)上、安芸太田加計の長尾神社の神紋

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さて、ひぼろぎ逍遥(跡宮)106 白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”にはこのように書いていました。


百嶋由一郎先生から“飯塚市鹿毛馬の某神社が白川伯王の流れを汲む本家であり、厳島神社の元宮、白川伯王家の源流の一族の神社である”と聞かされていました。

 正面の鹿毛馬(カケノマ)神籠石については、過去何度か訪れていましたが、神籠石の踏査などをやると大抵はくたびれ果ててしまい、目の前の神社でさえ見に行こうなどとは中々思わないものです。

 また、飯塚市の中心部からもそれほど遠いところではないため、何時でも行けるとなると意外と足が向かわなかったのでした。とは言え何時かは時が訪れるものです。

今回は、筑豊でも香春神社(縁起式内社)の再撮影など田川郡内を走り回っていたのですが、急に思い立ってカーナビで距離を測ると、山越えルートで移動すれば15キロ、20分もあれば行ける事に気付き、天気も良い事から課題であったその某神社(百嶋先生は最後まで公表されませんでしたので)に向かう事にしました。

以前も触れた事がありますが、「白川神道」など聴いた事もないという方のためにも、学者の権威を無視するためにも、敢えて彼らが無視するウィキペディア(20150417 2030から紹介させて頂きます。


白川伯王家(しらかわはくおうけ)、又は白川家(しらかわけ)とは花山天皇の皇孫の延信王清仁親王の王子)から始まり、古代からの神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家である。皇室祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元

白川家(しらかわけ)は花山源氏を出自とする堂上家である。花山天皇の皇孫の延信王(のぶざねおう)が源姓を賜り臣籍降下して神祇官長官である神祇伯に任官されて以降、その子孫が神祇伯を世襲するようになったために「伯家」とも、また、神祇伯に就任してからは王氏に復するのが慣例であったことから「白川王家」とも呼ばれた。


白川伯王家の成立

白川家の特徴は、神祇伯の世襲と、神祇伯就任とともに「」を名乗られたことである。「王」の身位天皇との血縁関係で決まり、本来は官職に付随する性質のものではない。非皇族でありながら、王号の世襲を行えたのは白川家にのみ見られる特異な現象である。以下、このことに留意しつつ白川家の成立について説明する。

…中略…

吉田家との地位逆転

室町時代になると、代々神祇大副(神祇官の次官)を世襲していた卜部氏吉田兼倶吉田神道を確立し、神祇管領長上を称して吉田家が全国の神社の大部分を支配するようになり、白川家の権威は衰退した。江戸時代に白川家は伯家神道を称して吉田家に対抗するも、寺社法度の制定以降は吉田家の優位が続いた。

家格は半家、代々の当主は近衛中将を経て神祇伯になった。

江戸時代の家禄は200石。他に神祇領・神事料100石。


王号返上と家系断絶

明治時代になると王号を返上し、白川家の当主の資訓子爵に叙せられた。資訓の後を継いだ資長には実子がなく、伯爵上野正雄北白川宮能久親王庶子)の男子の久雄養子に迎えたが、後にこの養子縁組は解消となり、白川家は断絶となる。


白川伯王が何かついては、既にひぼろぎ逍遥 159 秦の始皇帝と市杵島姫、173博多の櫛田神社の祭神とは何か?で説明していますので詳しい説明は省きます。

 ただ一点、明治期になり神祇官の指示によって白王姓を名乗るのはまかりならん(天皇家に対して不敬である)として「白王」姓を「白土」姓に変更され、この宮司家は白+(土+、)を名乗っているのです。

ここまで見てくると、加計姓を名乗った人々とは、朝倉日田の大災害で多くの人々が犠牲になっている最中に、自らの世界遺産登録を喜ぶ今の宗像大社や安芸宮島の厳島神社などよりも遥かに高格式の、飯塚市鹿毛馬(カケノマ)の厳島神社に起源を持つ白族(博多の櫛田神社の大幡主の一族)であり、下賀茂、上加茂にも通じる豊玉彦、ヤタガラスの後裔つまり裏天皇家の一族の様に見えるのです。

では、安倍晋三と仲良しのお友達だった方々との関係が、何故、ガタガタし始めたのでしょうか?

今年の二月に スポット095 朝鮮半島が北主導で統一される! 20170224 で、以下のように書いていました。

既に、ダビデ=デイビッド・ロックフェラーの後継となったキッシンジャーは、再度、親中派(実はマキャベリストの等距離外交派)の小沢を担ぎ出そうと、既に安倍降ろしが始まっているのではないかと思えるのです。まず、森友学園を巡る動きが何故唐突に生じたのかも考えて見るべきでしょう。

かつて小沢と袂を分かった小池がどう動くか、情報に操作されるB層はどうにでも操れると尚も考えているのです。そういえば、電通が何故叩かれているかも考えてみるべきでしょう。籠池氏と加計氏は等しく日本会議のような安倍政権を支えたお友達なのでしょうが、そもそも系統の異なる勢力の方なのでしょう。今回、籠池氏は切り捨てられ、加計氏はまだ関係を維持していると思われます。

この温度差は、統一教会なども含め、安倍を支えた勢力内部に内紛、衝突が起こっており内部分裂が起こっている可能性が考えられますが、奥の院の様子は伺い知る事はできません。

この延長上に現在もあるのですが、安倍の応援団として動いていたヤタガラス系の人々が、キッシンジャー(彼は伝統的親中勢力であることは明らかですね)が引き継いだとされるロックフェラー系ユダヤ・マフィアの指示で反中国を標榜する安倍を降ろす方向で動き始めたのかも知れません。

ここでは厳島神社の一族がどのような流れなのかを百嶋由一郎最終神代系譜で確認しておこうと思います。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


この黄枠の三姫君こそ三女神=市杵島姫、豊玉姫(タゴリヒメ)、鴨玉依姫(タギツヒメ)なのです。

白川伯王〜大幡主〜ヤタガラスの後裔なのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:53| Comment(0) | 日記