898 秋葉神社を理解するために少し巨視的に調べてみましょう
20211125
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
広川町の秋葉神社だけでは全貌が見えてこないことから少し視野を広げて考えるしかありません。
南の八女市にもあるのですが、まずは中心部の久留米市から簡単に調べてみる事にしました。

筑後の中核都市である久留米市としても同系統の秋葉神社がこれほどあるというのはかなり重要な示唆を与えてくれます。
ただ、これで結構あるんだなあ…と早合点すると直ちに間違いに嵌まり込むので、前もってお断りをしておかなければなりません。以下、グーグルトップ画面から。
@ 久留米市櫛原町3-49 味耜高彦根神


B 福岡県久留米市田主丸町菅原1232


一応、グーグルから久留米市北部の秋葉神社を見ました。水天宮とて境内摂社なのですし、消失社とか廃社と言えば失礼になるでしょうが、一目、搔き消された神社の誹りは否定できないでしょう。
他の神社を見ても良いのですが、成果が得られそうでないためここで止めることにします。
さらに、何故か有馬藩ご推奨の秋葉神社が明確に味耜高彦根神としている事は衝撃的です。
巷では味耜高彦根(アヂスキタカヒコネ)を大国主命と宗像三女神のタキリビメの子であるとしますが、その誤りの仕組みを先に考えましょう。ここでは百嶋由一郎の神代系譜に頼らざるを得ません。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)アジスキタカヒコネを確認しましょう
百嶋由一郎氏の神代系譜は、久留米の高良大社に残された貴重この上ない「高良玉垂宮神秘書」を軸に作成されています。
このため通説とはかなり違ったものになっていますが、一方にはこれほど正確なものはないという評価も受けてもいます。
では、説明させて頂ただきます。
まず、話は海幸山幸神話まで遡ります。実は、宮神秘書には冒頭からこの有名な海幸山幸神話の原型と思えるものが書かれています。
釣り針を失った山幸(ヒコホホデミ=ニギハヤヒ=五十猛=猿田彦…)は塩土老翁(実は博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビ)のアドバイスを受け龍神(ヤタガラス=豊玉彦)がいる龍宮に向かいます。そして出会ったのが豊玉姫ですが、その間に生まれたのがウガヤフキアエズ=アジスキタカヒコネなのです。
ところが、産みの母親である豊玉姫は子育てを放棄し、代わりに送られたのが妹とされる(勿論違いますが)玉依姫だったのです(鴨玉依姫)。
しかし、乳母として送り込まれた育ての実質叔母の玉依姫とウガヤフキアエズが仲良くなり過ぎてか、過ちを犯し、実質、叔母が甥のウガヤ=アジスキタカヒコネの子を産んでしまう事になるのです。
実はこの話が宮神秘書にもちょっとだけ触れてあります。
まあ、それもありうる話として良いとして、味耜高彦根(アヂスキタカヒコネ)が大国主命と宗像三女神のタキリビメ(鴨豊玉姫)の子とされている理由を考えることにしましょう。
では、系譜をご覧ください。アジスキタカヒコネとはウガヤフキアエズ(山幸彦の子)の事です。
豊玉姫は山幸彦のお妃なのですが、後に大国主命のお妃ともなっているのです。
このため、母神の豊玉姫を介して考えれば、味耜高彦根にとって大国主命は義理の父親とも言えなくもないのです。飽くまでも無理して言えばですが。
逆に言えば、ウガヤフキアエズをアジスキタカヒコネと読み替える事によって別の神として扱うことができる事にもなっているのです。つまり、からくりとしては複雑でもなく単純な構造と判るのです。
さらに掘下げれば、その時代には山幸彦よりも、大国主の子とする方が都合がよく、権威があるようにさえ見えたのではないかと思うのです。
アヂスキタカヒコネ 『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神と表記し、別名に迦毛大御神(かものおおみかみ)、『日本書紀』では味耜高彦根命、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。また、阿遅鋤高日子根神とも。
大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子。同母の妹に高比売命(シタテルヒメ)がいる。農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、阿遅速雄神社 (大阪府大阪市鶴見区)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。なお『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』20211207 10:08
では、次に「福岡県神社誌」に話を進めます。

これまで見てきた通りかなりの数(実際には久留米周辺に10社以上は確認できるようです)の秋葉神社、愛宕神社が在るにも関わらず「県神社誌」の中巻の旧筑後郡を見る限り正規の神社としては全く搭載されていないのです。
過去、これに似た現象と遭遇したことがあるため直ぐに理由が分かるのですが、旧朝倉郡の田神社(カミムスビ神=博多の櫛田神社の大幡主)と同様、何らかの政治的な変化の結果、何時の時代かに消されている可能性があるのです。
その証左が神社誌下巻末尾に書かれる無各社一覧の記述で、正しく墓標と言うべきもので、実際には死者累々と言った印象です。
このため、以下、下巻413〜431pに記載のある10社程度の秋葉社、愛宕神社をご紹介しておきます。
記載の量が少ないためその心算でご覧ください。いずれも無各社です。
久留米市 @ 秋葉神社 味耜高彦根 火産霊神 櫛原町字三丁目 三井郡 A 愛宕社 軻遇突智神 草野町カナザキ B 秋葉神社 軻遇突智神 草野町吉ノ尾 浮羽郡 C 秋葉神社 味耜高彦根 山本村大字豊田字東山 D 秋葉神社 味耜高彦根 山春村大字三春字長瀬 豊前坊 E 愛宕神社 軻遇突智神 山春村大字三春字長瀬 上原 F 秋葉社 味耜高彦根 船越村大字鷹取字内畑 G 秋葉神社 軻遇突智神 柴刈村大字恵利字三角 八女郡 H 秋葉神社 味耜高彦根命 福島町本村字東唐人町 I 火産霊神社 軻遇突智神 羽犬塚町羽犬塚字屋敷 J 秋葉社 味耜高彦根命 下廣川村一條町 K 秋葉神社 軻遇突智神 川崎村大字山田北童男 L 愛宕神社 軻遇突智神 昭代村大字西濱武喜四郎野田 |
以上、昭和19年当時の地名表記のため特定に手間が掛かりますが、無格社一覧とはこの程度のものなのです。
これも百嶋由一郎最終神代系譜をご覧ください。

では最後になりますが、軻遇突智神とは何かをお知らせして終わりとします。
軻遇突智(カグツチ)神とは、通常、製鉄神の金山彦として認識しています。
「古事記」では金山毘古神、「日本書紀」では金山彦神と表記する。金山毘売神(カナヤマビメガミ、金山姫神)と対になるともされる。
金山彦神 神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生した神である。『古事記』では金山毘古神・金山毘売神の二神、『日本書紀』の第三の一書では金山彦神のみが化生している。
岐阜県垂井町の南宮大社(金山彦神のみ)、南宮御旅神社(金山姫神のみ)、島根県安来市の金屋子神社、宮城県石巻市金華山の黄金山神社、京都府京都市の御金神社及び幡枝八幡宮末社の針神社を始め、全国の金山神社で祀られている。『ウィキペディア(Wikipedia)』20211207 14:16 による
味耜高彦根(アヂスキタカヒコネ)がウガヤフキアエズであるという事は二重三重の意味で異論をお持ちの方は多いかもしれません。前掲の系譜にウガヤフキアエズがアジスキとも書かれていますからそう考えていますが、ほかの系譜にもないかと調べていると、一つだけ見つけました。

これは 005 アイラツ姫 系譜と呼んでいるものですが、豊玉姫の御子とされており、アジスキタカヒコネがウガヤフキアエズで間違いないでしょう。
豊後の大蛇の意味についてはここでは省略しますが、以下を参照してください。
No.066 三輪伝説と穴森伝説と下照姫 | 宮原誠一の神社見聞牒 外をお読みください。
このウガヤフキアエズの後裔氏族が豊後大野周辺の大神一族になっていると考えているのですが、今のところ想定のみです。
当然、宇佐神宮焼き討ちや豊後竹田の岡城の建設、義経の受入れ…の大神一族の事です。
祖母山とは、結局、神武僭称贈る崇神の祖母(勿論違うんですが)という事に置き換えているのです。開化の臣下でしかない崇神ごときが神武などではない。
ひぼろぎ逍遥外
372 | 花本大神をご存知ですか?“博多の櫛田神社の花本大神 と豊後大野の宇田姫神社について” |
189 | 阿蘇の大蛇伝説と祖母山 “大分県竹田市の穴森神社”(阿蘇大蛇伝説) |

この神社は九州自動車道広川インターの西のエリアで3号線の渋滞を避けるために頻繁に通るところですから同社の存在は承知していましたし、秋葉神社とも確認していましたが、参拝はしておらず、さっそく現地踏査をして、リポートの裏採りをしたいと考えています。
ただ、カーナビだけで秋葉神社だから金山彦系=カグツチで安心していたのは誤りだったようで、もっと重要な深い意味がありそうなのです。