2020年03月21日

695〜698 田ノ浦 C

695698 田ノ浦 C

2013011820181015(改訂)

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


五島列島


@  神ノ浦(新五島町)  A 田ノ小島(新五島町若松島)

A   田ノ浦町、田ノ浦湾、田之浦神社(五島市久賀島)C 田尾(五島市富江町)

無題.png

五島列島は魚釣りなどで十回ほど入っていますが、限られた範囲しかなく、とても判断できるレベルで

はありません。

これらはあくまで地図上の拾い上げに過ぎません。神社を見るなり、現地の人から聴き取るなりしなければ、これ以上のリスト・アップは意味がないと思います。

 ましてや、奄美大島、甑島、種ケ島、屋久島、トカラ列島など未踏地の判断はすべきではないでしょう。

しかし、ある程度分ってきたこともあります。

それは、この地名群は外洋航路に関係しているようで、不知火海、有明海、錦江湾、志布志湾などからはそれらしき地名を拾えません。

また、平戸の幸ノ浦、大瀬戸から彼杵、臼杵の津留など家船のエリアともかなりの重複を見せます。

江南系も含め、バジャウなど俗にマライ・ポリネシアンと言われる南方系の海洋民族と関係があるのではないかと思われます。

有明海、不知火海、薩摩の両岸などは江南系の海人族が入ったためか、その外延部と九州東岸にこの地名を強く意識します。

瀬戸内海、山陰の調査を進めればもっと鮮明なイメージが見出せるのではないでしょうか?

とり急ぎ九州全域の第一次拾い出しを終えます。                   20130102


201319日、第二回目の「田ノ浦」地名調査に入りました。


今回は行橋市からのスタートです。最終目的地は、前回、パスした別府市の南、高崎山付近、マリン・パレスそばの大分市神崎の田ノ浦です。

行橋市は、普段、通過するだけで、通常のフィールド・ワークのエリアではありません。そのため、小さな祠一つを見るにしても新鮮な感じがします。

北には瀬戸内海フェリーの出航港の苅田町があるのですから無視はできませんが、あまりにも都市化が進み埋立地も大規模に拡大していることから、古代の湾奥と思われる山際線で探るとしても、北九州市全域と併せ、現実的にはパスせざるを得ません。

まず、苅田港の沖には神ノ島が浮かんでいます。もちろん、苅田そのものも可能性がありそうですし、役場のそばに殿川が流れ、殿川(トノガワ)町がありますので、タウヌイ川とすれば、この川から瀬戸内海に漕ぎ出したと考えてもおかしくはありません。

行橋から南の大分市に向けて、「田ノ浦」地名と思われる候補地を廻りました。

@  金屋(行橋市金屋)カナヤ

 現地は古代(一応、紀元前後を想定)のウオーター・フロントと思われる場所です。

 遠く英彦山から端を発した今川は赤村で90度以上屈曲し行橋に流れ下っています。

 現在、その今川と江尻川が河口で合流する辺りに、この地名があります。

 特に、製鉄、冶金の可能性がないかを気にして現地を歩きましたが、そもそも、錆を嫌う金属加工地名が、このような場所にある可能性はないため、これも、「カウヌイ」の可能性が高いように思われます。

A  金屋(宇佐市金屋)カナヤ

 宇佐市の中心地を流れる駅館(ヤッカン)川右岸の、これまた、古代から中世までの河口部ではなかったかと考えられる場所にあります。

 この地名のエリアは、標高20メートルを超える台地から、急な崖を下った川岸の下金屋を含んでいます。

 現地を降ったり登ったりして具に見て回りましたが、農家集落でも漁師集落でもない上に、醸造業なども散見され一目、廻船業者の集落であったように見えます。

古来、醸造業と廻船業は関係が深く、多くの穀物を閉鎖的な船倉で搬送することから、自然に発酵=腐敗が進み、その発酵の進み過ぎたもの抱え込みから、醸造業が始まり、商品生産が起こるのです。中世まで遡るような場所であり、そのことが良く理解できます。

 この集落の中心地の神社を見に行きましたが、奉納者の中に「南」姓を持つものが異常に多い(半数を超える)ことに気付き愕きました。もちろん、念頭にあるのは「南」=「難」の意味です。もしも、南さんが難さんであれば、古代にまで遡る海洋民の可能性が想定できる難 升米に通じるからです。

 さらに言えば、呉音と漢音の際立った差は、M音とB音の、次に多いのがN音とD音の入れ替わり現象であり(濁音の清音化現象も)、いわゆる「魏志倭人伝」の難さんは、団、壇さんにもなる可能姓があるのです。

B  金屋(豊後高田市金屋)カナヤ

豊後高田市の「昭和の街」は有名ですが、その中心の新町商店街の延長上にあるのが金屋町で、その隣が鍛冶屋町であることから、金属加工の街の可能姓も否定できません。

この商店街のそばには物資輸送に便利なかなりの川幅を持つ桂川が流れています。

豊前と豊後の北半域に三つの金屋地名が拾え、いずれも川筋のしかも河口部のウォーター・フロントに位置していることを見るとき、これらが、古代にまで遡る、カウヌイに起源を持っていることを考えると感動をさえ覚えます。

 ここで、今回のテーマとは繋がらないケースを紹介しておきます。

それは、大分市の生石地区の上流域の金谷迫です。

 ここは海岸部の生石(イクウシ→イクイシ→イクシ)に隣接する土地であることから、確認を行ないました。隣には蒔き、木炭など燃料の集積地と考えられる駄原(ダノハル)地区があり、白木地区もあることから、やはり、製鉄、金属精錬に通じる地名と考えるべきでしょう。

 ただ、古代においては、谷深い池状の入り江(現在は富士紡績の敷地)の池の臼状地か、壱岐の海人族が住み着いた土地が生石の語源ではないかと考えるのです。


2013115日、第三回目の「田ノ浦」地名調査に入りました。


最初に向かったのは、第二回目で廻りきれなかった高崎山直下の田ノ浦です。

@  田ノ浦(別府市神崎)

マリン・パレスに隣接し、田ノ浦海水浴場があります(六車線道路が前出しされて造られていますので、元も砂浜であったかは確認できていません。この点は調査が必要です。)が、砂浜であったかは即断できません。

ただ、田ノ浦集落は、高崎山の名の通りの海岸まで傾斜が急な山裾が延びる延長上にあり、田んぼなど、ほぼ、存在しない場所であるように思えます。

A  漢の浦(臼杵市中津浦)

前回、誤って通過したのですが、強烈なインパクトのある地名でもあり、どうしても現地を見たくなり、再度、臼杵湾に入りました。

現地は湾の左岸の中ほどと言ったところですが、現在でも車で入るには勇気のいるところで、容易に離合できない神経を使う狭い路地が続きます。

大字中津浦の片隅にあるのが、この集落です。現地でもあまり重要視されていない集落のようで、聴き取りを行なうと、船を持つ漁師は既に一戸だけとなり、漁港も含め、中津浦の中に吸収されているようでした。

菅原の道真を祀る中津浦の人々は鼻筋が通り、背も高いようですが、漢の浦、そして後にふれる、家船で有名な津留の人々は、映画評論家の水野氏やおさかな君などに代表されるポリネシア系の顔立ちの人のようです。

ウヲーキング中にお会いした中津浦の綺麗な女性にお聴きすると、「津留の人は一目で津留の人と分りますからね・・・」とのお話をお聴きし、想定と一致し納得したところです。

津留もそうですが、概して砂浜、小粒のゴロタ浜を好んでいるという印象を拭えません。

B  田井(臼杵市田井)

この姓を意識したのは三十年も前のことですが、この地名が九州でも散見されることから気になっていました。

最近になり、この地名も田ノ浦地名のバリエーションの一つであることに気付きました。

地図を見ると、臼杵市の内陸部にあることから見過ごしてしまいそうですが、日豊線の下ノ江駅のそばに、大字田井、字田井があり、それほど海に遠いところではない事を現地で確認するまでは、踏み込むことが出来なかったのです。

下ノ江駅も海から直線で一キロは離れたところであることから、不思議に思っていたのですが、現地を見ると直ぐに氷解しました。見た目は全くの川ですが、深い入江が田井の直ぐそばまで入っていたのです。

してみると、田井とはタウイイ(大型のタウ)を操る人々の居住地、居留地の意味であることが分るのです。

これは、フィールド・ワークなくしては見えてこない例の一つでしょう。

田井姓を調べると香川県の高松市、大阪府の八尾市にその際立った集中が認められますが、八尾はかなりの内陸部のため、だれか調べてもらえないかと思うものです(岡に上げられた河童の状態に見えます)。

C  田ノ浦(津久見市)

セメントで有名な津久見市は臼杵市の南に位置し、その境を臼杵市の南で半島を背中合わせにしています。平地の少ない、臼杵も津久見も、そして、佐伯も、各々の湾をその領域として発展してきた都市であることが良く分ります。

その、津久見市には南に四浦半島というサンゴ状の半島がありますが、その枝の北側の先に落の浦、鹿の浦、田の浦という漁港が並んでいます。落の浦は河野水軍の一氏族越智の人々末裔であることは容易に想像できますが、鹿の浦は志賀島の鹿(シカ)かと思い入ったところ、シノウラとのこと、やはり、現地に行かないと分らないものです。

いずれにせよ、この田の浦は、完全に田とは無縁の場所でした。 

残していた、大分の田ノ浦、臼杵の津留、漢ノ浦、田井を確認し、通常のフィールド・ワークのエリアと併せ、九州全域の田ノ浦調査をひとまず終えました。

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2020年03月18日

695〜698 田ノ浦 B(後)

695698 田ノ浦 B(後)

2013011820181015(改訂)

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久



長崎県 U


@  田島(西海市西彼町)

何の変哲もない海岸性樹木に覆われた小島です。もちろん田んぼなど片鱗もありません。

A  田ノ浦(長崎市時津町)

西海橋から国道265号線で長崎に向かい、時津町に入って直ぐの子々川が注ぎ込む砂地の小湾が田ノ浦です。

B  金川内、田久保(大村市)

無題.png鈴田川が注ぐ大村市の諫早市寄りの入江です。この地名が二つ並ぶと、カウヌイとタウがセットであると可能性があると思います。

C  田ノ浦(長崎市香焼町)

三菱長崎造船所香焼工場(旧川南造船所)は元々香焼島にありましたが、今は埋立てが進み陸続きになっています。

今は工場の裏手の一角にこの地名が残っています。まさか、カヌーを焼いたのではないでしょうが、香焼島という地名も気になります。

この田ノ浦もどのように考えてもタウヌイの浦に思えます。

D  藤田尾町(長崎市)

野母崎(長崎半島)東岸のトウダオと呼ばれる小集落です。

ここも長崎半島を迂回する際の寄港地には最適の場所です。湾曲した砂地の浜です。トウとタオが重複した地名かも知れません。

E  太田尾町(長崎市)

 長崎市の真裏、旧長崎水族館から南に廻った海岸沿いの小集落ですが、この地名も前述の類型地名です。オオタオと呼ばれています。タウヌイと同じ意味ですが、ヌイが大きいに変ったものです。

F  金屋入口(雲仙市旧千々石町)

大きな砂地の浜が広がる湾奥と言って良い場所ですが、直ぐ近くに戸崎もあり、カウヌイと関係がありそうです。

G  金浜(雲仙市旧小浜町)

金浜川が注ぐ浜です。上流には鍛冶屋という地名もあり、判別が出来ません。

H  田ノ平(南島原市南串山町)

国東半島の付け根の台地上の土地で水田はありません。そもそも、旧南串山町はジャガイモの産地で米が取れないからなのです。

I  金崎(諫早市)

有明海に入るとこの地名が消えます。彼らは外洋を中心に活動していたからでしょうか。一応、加納性を保留したいのが、この金崎です。諫早湾干拓事業の大堤防が建設された

北の付け根です。


壱岐


過去何度も入った壱岐ですが見つかりません。

ただ、前述の松尾紘一郎氏から加納という地名があることをお知らせ頂きました。

現在、明治の全国小字調べで小字レベルの調査をしています。


対馬


対馬は、地元の民俗学者永留久恵の大著『天神と海神』を片手に、三泊四日の行程で四十近い神社を見て廻りましたが、一度のだけのフィールド・ワークで土地勘があるというほどのものではありません。

 その範囲で地図上の可能性のあるものを拾い出しただけです。

@  田ノ浦(対馬市豊玉町)

有名な木坂の海神(ワダツミ)神社(永留久恵氏はこの社家ですが)の湾越の南の枝湾で、田川という川が注ぎ田橋という珍しい名の橋もあります。タウ船の入る川かも知れませんね。

A  塔ケ崎島(対馬市豊玉町)印象的な鳥居が海上に浮ぶ和多都美(ワダツミ)神社に向かう崖上の狭い道路から見える無人島というより、海岸性樹木に覆われた孤立礁です。

無題.png

B   金田城、田ノ浜(対馬市)

白村江の大敗北の後、唐に備えて天智天皇が造ったなどと馬鹿げた説明がされる山上遺跡ですが、そもそも太宰府は郭務悰ら唐の軍隊に占領されているのです。それはともかく、なぜ、これが金田の城と呼ばれるかは全く分りません。南の金田と関係があるのかも知れません。

気休めですが、カウヌイも見える城としておきます。

この登山道の入口を見て今里方面に移動しましたが、その際見た美しい砂浜が田ノ浜のようです。
無題.png

C 金田、金田山(対馬市金田)

有名な銀山神社の南に聳える山が金田山です。現在でも鉱業所がありますが、この一帯が金田です。少し下ると石葺屋根の倉庫(石屋)で著名な椎根です。

この地名は、カウヌイが見える山、金田山の裾野の集落と見たいのですが、一般には和銅年間に金まで発見されたという誤報にはしゃいだ銀山神社との関連などで説明されるでしょう。もちろん、当方も、決め手をもっている訳ではありません。

D  神山、神崎(旧厳原町)

対馬の最南端、内院の銛状の岬あります。対馬海流に乗り北上した時最初に見える尖った岬がそれです。

ざっと拾い出しても、対馬の西岸にしか見出せないのには理由がありそうです。

半島に移動する時は潮流を利用するために、現在のフェリーも含めて、対馬の西岸を北に向かいます。

動力船がない古代に於いては、反転流を利用して朝鮮半島の西岸を北行し、潮流が緩やかになる山東半島辺りまで進み始めて南行するので、対馬東岸には寄港地を持つ必要がなかったのではないかと思います。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

695〜698 田ノ浦 B(前)

695698 田ノ浦 B(前)

2013011820181015(改訂)

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


福岡県


無題.png@  殿川(苅田町)

この川は役場の傍を流れているだけに、今なお関西へのフェリーの出船場であることも無関係とは言えないでしょう。タウノウの川であった可能性は高いでしょう。

A  田野浦(北九州市門司区田野浦)

ここは、海上交通の要地であり、まず、間違いなくタウヌイの浦でしょう。

B  戸ノ上、戸ノ上山(北九州市)

JR門司駅東側の町が戸ノ上です。場所としては文句ないところです。

C  田屋(芦屋町)

源平期に活躍した山鹿水軍の根拠地だけに可能姓は高いでしょう。

D  手野(岡垣町)

既に、宗像海人族のエリアですが、阿蘇の国造神社の所在地にもこの地名があり、即断できません。

現地では「テノ」と呼ばれており、巨大な松原海岸の砂浜の地であり可能姓はありそうです。

E  鐘ノ岬(宗像市)

沈んだ鐘の音が聞こえるとの伝説もありますが、宗像海人族の象徴的な土地であり、最も可能性の高いカウヌイの岬でしょう。

F  田野(宗像市)

砂の堆積が進み内陸部になっていますが、古代は汀線であり、さつき松原の砂浜海岸の地であり候補地です。

G  神湊(宗像市)

この地も宗像海人族の本拠地であり、間違いなくカウヌイ湊でしょう。

H  田島(宗像市)

宗像大社の所在地の大字が田島であることは象徴的ですらあります。

I  恋の浦(福津市津屋崎町)

ここからは安曇族、宮地嶽神社の領域ですが、恋の浦は鳴砂の浜として知られています。

J  田ノ浦(福津市津屋崎町)

恋の浦のある陸繋島(トンボロ)の内側で、現在は耕作地も広がっています。冬場は北西風の当たらない古代においては最適の停泊地だったはずです。

K  唐ノ原(福岡市東区)

トウノハルと呼ばれていますが、これまではアイヌ語の痕跡地名と考えていました。タウヌイのハルかも知れません。

L  唐原(福岡市東区)

唐原川が流れており可能姓はあるかも知れません。

M  叶の浜(福岡市東区志賀島)

有名な金印の発見地とされる砂の浜で、これはカウヌイの停泊地か丸木舟の製造地ではないでしょうか。

N  勝間(福岡市東区志賀島)

既に茂在教授がカタマランの泊地としたところです。

O  博多(福岡市博多区)

これは、説明不要でしょう。黄 教授に従えばタウの停泊地=駅ですね。

以下、博多港周辺は都市化が進み判別が出来ません。

ただ、福岡市西区の叶岳はカウヌイ製造のための木材の供給地、伐出山かカウヌイが沖合いを通過するのが良く見える山の可能性があります。


佐賀県


@  殿ノ浦(唐津市呼子)無題.png

豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点となった呼子港の湾奥地名です。

殿ノ浦は伊万里湾鷹島、平戸沖の的山大島に類型がありますが、タウヌイの浦ですね。

A  田島神社(唐津市呼子)

呼子港を北西風から守る壁の島加部島の東端にある島状の半島に鎮座するのが、宗像大社と同一の祭神を持ち、宗像大社と同一の大字名の田島神社です。

以前から田んぼとは全く無縁なところになぜと思っていましたが謎が解けました。

タウの停泊する島とすれば氷解します。宗像大社の大字が移されたとして理解していましたが、そうなると呼子の田島神社から宗像へ地名が移動したのかも知れません。

B  田野(唐津市田野)

佐賀県で最初に頭に浮かんだのが、この旧肥前町の田野でした。

どうみても漁業中心の集落で、なぜ、田野と呼ばれているか奇妙でしたが氷解しました。福岡県宗像市の宗像大社の鎮座地も田野です。

C  唐ノ川(唐津市唐ノ川)

上場台地の真ん中にこの地名があります。ここには比較的大きな松浦川の支流田中川が流れ、唐津湾に注いでいます。トウノカワともカラノカワとも呼ばれ、タウヌイ、カウルヌイを造って海に流す場所としてはありうるでしょう。

集落の中心地には田島神社が鎮座しています。

D  神野(佐賀市)

コウノと読みますが、JR佐賀駅の西に戸神野公園があります。

古代の佐賀は有明海に突き出した岬状の地であったと考えられており、吉野ヶ里遺跡の神崎も同様ですが、これもカウヌイ、カウヌイ崎の可能性がありそうです。

迂闊にも写真家の松尾紘一郎氏(糸島市)からお教えいただきましたが、佐賀新聞の記者であった故山本末男氏の『佐賀は輝いていた』には、茂在教授の著書を読まれたか、神納、嘉納、花納・・・(佐賀市)神納(神埼市)など多くのカノウ、カンノウ地名があることを書いておられます。無題.png


長崎県 T


@  殿ノ浦(松浦市鷹島町)

既に、呼子の鷹島で触れましたし、茂在寅男教授と遭遇したのが、この伊万里湾内の最適の中継港です。

ここが、鹿屋と同様の意味の地名と教授は気付かれていたのでしょうか?

A  船唐津(松浦市鷹島町)

フナトウヅともセントウヅとも言われますが、魚釣りで頻繁に通った鷹島沖の黒島へのフェリーの中継港です。

以前から船がなぜ語頭に来ているのか奇妙でしたが、タウとフネが重複しているとすれば、多少意味が分るかも知れません。

B  金井崎(松浦市)

松浦市の中心部の西、鷹島へのフェリーの発船場がある御厨から北に突き出した半島の先端の地名で、鷹島の殿ノ浦の真南に位置しています。カウヌイの通過する岬の意味かも知れません。

C  田ノ浦(平戸市)

空海が入唐する時の遣唐使船が出たのがこの港で、現在でも田の浦温泉があり船宿となっています。一度入ろうとしましたが、沸かし湯の鉱泉場で直ぐには入れませんでした。

無題.png

D  田助(平戸市)

ここも、釣りで何度か足を入れたところです。現在でも造船所があり、タウには関係がありそうです。

E  無題.pngノ浦(平戸市)

田助港の南にある小さな漁港ですが、家船の西の最大拠点だったところです。

F  観音崎(平戸市度島)

ポルトガル宣教師ルイス・フロイス(『日本史』の著者)も

滞在した平戸の瀬戸の北に位置する度島の北西の岬です。

G  神ノ浦(平戸市的山大島)

ここも頻繁に魚釣りで通った島です。

平戸からのフェリーが着くのが、この神浦港です。初めて訪れて以来、仰々しい名だと思っていましたが、カウヌイの浦とすれば良く分ります。

 確か、この港の奥にも殿ノ浦があったと記憶していますが、再度、確認が必要です。

H  田崎(平戸市木場町)

平戸島中部の木ケ津湾の湾口の半島です。

もちろん、田んぼなど全くない海岸性樹木の生い茂る森です。

I  神船町、神ノ川町(平戸市津吉)

平戸島南部の北西側の入江にあるカミフネ町と、南東側にある前津吉漁港の浜沿いの町で、カンノカワ町ですが、隣には船木町があります。

前津吉は佐世保港へのフェリーの出船場ですが、北西の風が遮断される良港です。

両方ともカウヌイが造られた可能性もある場所ですね。

J  田の浦町(佐世保市)

大村湾から肥前国風土記に登場する早岐の瀬戸と田子の浦を通り佐世保湾に抜ける海上交通の要衝ですが、現在は埋立てと宅地造成により、深いものの、コンクリートの放水路しか残っていません。

K  戸尾(佐世保市戸尾町)

魚釣りで上五島へのフェリーに乗る度に車を置いていた町ですがトノオと呼びます。アイヌ語のトウ(湖)と理解していました。

L  太田和(西海市太田和郷)

無題.png佐世保から南に西海橋を渡り、西彼杵半島の外側にある崎戸大島へのフェリーの出船場だった港です。

これも、キス釣りに何度となく通ったところです。 

以前から奇妙な地名と思っていたところです。大きなタウの着く港の意味にはなります。

M  田ノ浦(西海市大島)

大島の北岸の小さな入江ですが、冬場の強風の中30センチを越えるキスを釣ったポイントです。

N  塔の尾(西海市大島) 

田ノ浦の隣の非常に奥行きのある入江ですが、漁港築事業でコンクリートに固められ、

かなり狭められてしまいました。佐世保の戸尾と同様に思っていましたが、どうやらタウの着く入江の奥という意味ですね。

O  太田尾(西海市大島)

ここも田ノ浦の直ぐ傍に白浜海水浴場があります。タウは砂浜を好んだようです。

P  神浦(長崎市)

ドロ神父で著名な隠れキリシタンの里で、神(カミ)の浦と呼ばれていますが、カウヌイの浦だと考えます。

Q  神ノ島(長崎市)

無題.png頻繁に訪れている長崎ですが、長崎港の長大橋女神大橋建設などの工事で陸続きになった神ノ島は一度しか足を運んでいません。

そのとき以来、隠れキリシタンは隠れているのであって、こんな地名を付すはずがないと思っていました。当然、それ以前の地名にしては奇妙だと考えていました。

カウヌイの寄航する島だったのです。付近の皇后崎も気になります。神功皇后ではなく、カウガサキかも知れません。

R  鹿尾町、鹿尾川(長崎市)

グラバー邸付近から野母崎方面に南下すると、鹿尾(カノオ)町があり、今も中小の造船所や関連工場がひしめき合っています。これも、加納、叶、鹿野などと同様の船造りの地名のように思えます。

S  神崎鼻、神崎神社(長崎市)

女神大橋直下の岬です。ここが事実上の長崎港の入口です。説明は不要でしょう。



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